第六話 違和感(6)
怪しげな地下室に、さも当たり前の酔えに現れたマリオ伯爵に、アリティーナは驚いてしまう。
マリオは、とうの昔に屋敷を出て行ったはずだった。普段は王都に住んでおり、王宮でのお仕事をしていると聞いていたが、具体的に何をしているかは分からない。
ただ、王都からこの屋敷があるフェルベッキオ領へは、馬車でも一週間以上かかるとミリアから伺っていた。
今は、王都に戻る馬車に乗っていなければおかしい。ならば考えられることはただ一つ。
マリオは、最初から王都になど戻っていなかったのだ。
「どう、して……」
それだけ聞いて、質問の意図を汲み取ったらしいマリオは、苦笑しながら答える。
「いや、別に欺す気は無くて、本当に王都へ戻る気だったのだがやはり気になってな。途中で引き返してきたのだよ、そしたら、ここに入るのを見つけたからな」
あくまで、こうしてかち合ったのは偶然と言いたいらしい。どうも納得いかないアリティーナであったが、この様子だと真偽を問えないのでそのままにすることにした。
話を変えて、アリティーナはこの地下室そのものについて聞くことにした。
「ここ、は……」
まだ上手く喋れないながらも、なんとか質問すると、マリオは説明を始めた。
「……覚えていないか?」
ところが、最初に出てきたのはそんな問いだった。アリティーナは困惑してしまう。
「その様子だと、覚えてはいないようだな。君は、ここで倒れていたのだよ」
「え……」
驚いて目を見開く。
そういえば、気になってはいたものの、アリティーナがどうして三日も昏睡していたかを聞いていなかった。まず自分がこんな少女の体を手にしたことに、今の時代を理解するのに目が行ってそれ以外を疎かにしていたことをようやく悟る。
「私とて、話を聞いただけだがな。君は、アリティーナはこの地下室に勝手に入り、ここで何かをした。ここに封印されていた、あるものを使ってな」
やはり、かつてはここに何かがあったらしい。アリティーナがその封印をこじ開けたので、どこかへ移動させたようだ。
「発見されたとき、アリティーナは既に意識を失い、高熱を出していた。すぐさま医者を呼んで薬を飲ませたが意識は戻らず――三日後、君が目覚めたということだ」
そう言いつつこちらを見つめるマリオの目は、どこかいつもと違っていた。今のアリティーナを見つめ続けた瞳とは、別個のものに見えてならなかった。
「なに、が……」
この場所に、何が封印されていたのか。そう新たに質問する。
しかし、マリオはその質問には答えようとしなかった。
「……その前に、私の質問に答えてくれないか?」
などと言うマリオの瞳は、やはり先ほどと同様今までと違う目に見えた。
まるで、心の奥底まで覗こうという、鋭い刃があるように感じたのだ。
そんな思いをしているアリティーナとは別に、マリオが問いかけてくる。
「君は、いったい誰なんだ?」
ドクン、と胸が鳴る音がした。
ギョッとして傍らのマリオを見上げると、目も顔も、いつもの穏やかそうなものに戻っていた。
「そう警戒しなくていい。君が、アリティーナ――私の孫でないことは分かっている」
「どう、して……」
どうして分かったのか。それだけが気になった。
今のアリティーナが、どうして死んだはずなのに生きてこの少女の体を手に入れたのか。それはアリティーナ自身にも不明なのだ。魂だけが入れ替わったなどならば、肉体は完全にアリティーナのものなのだから見抜けるはずが無い。
だというのに、この老人はあっさり見抜いていたらしい。流石に動揺してしまう。
「――娘が、イザベラがああなったのは、私の責任でもある」
だがマリオは、こちらを無視してどこか遠くを見ているような目で語り始めた。何か、彼にしか見えないものでもあるのかとアリティーナは疑問に思った。
「あの子が生まれたばかりの頃から、私は軍の仕事で忙しくまともに帰って来られなかった。妻の訃報を聞いていても、だ。当然育児など任せきりで、気がつけばあんな性格になっていた。それでも昔はもっとまともな性格をしていたが……」
ふう、とため息をつく。これはドラゴンハンターたちもよくやっていた、疲れたときと後悔しているときの癖であった。
「しかし、あの娘が結婚しようという頃、この領地で大規模な土砂崩れが起きてな……街一つが潰れた。自慢ではないが、我がフェルベッキオ家の財政はそもそも豊かではない。それが、土砂に埋もれた街の再編に使われれば、当然足りなくなる。王国にも泣きついたがそんな金は無いと撥ねつけられたよ。だから、イザベラを結婚させるしかなかった」
「けっ、こん……?」
結婚という言葉が出て、そこでアリティーナはイザベラという女が、目覚めた時現れたあのキツそうな女こそが自分の母なのだろうと気付いた。
「君の父は、三カ国を跨いで稼ぐ大商人の息子だ。ただ、大商人と言えど買えないものはある。それが爵位――我が国での階級だ。
だが、手に入れる方法もある。例えば――結婚とかな」
要は、金が無くなったフェルベッキオ家が、その大商人から借金を肩代わりして貰うために娘を結婚させたということらしかった。アリティーナは貴族の世界には馴染みがないので知らないが、そう言うものなのだろうか。
「家のためには仕方なかった――とはいえ、君の母親からはずいぶん恨まれたよ。何しろ、彼女は幼い頃から婚約していた意中の者と、ようやく結婚するという直前だったんだからな。
そのため、私も夫も――そして、自分の娘すら恨んで、あのような性格になってしまった。そのことに関しては私のせいだが――母親の影響で、娘まで似た性格になるとはな」
本来のアリティーナがどんな人物だったか、今のアリティーナも日記で知っていた。母に負けず劣らず、非道な少女だったらしいことは読めば分かる。
「だから――仮に記憶を失ったとしても、信じられんのだよ。人の性格とはそうも変わるのかと。
まるで――別人が入れ替わったように違うなんてあり得るか、とね」
「…………」
マリオ自身は、別に確証の類が有るわけではないようだ。単なる勘で言っているだけのようだ。
故に、シラを切ろうと思えば可能ではあるが――アリティーナは、どうしてだかそんな気になれなかった
「……俺、は……」
意を決して、先ほどの質問に答えることに決めた。
未だに自分がどうしてこんな風に目覚めたか、どうして生きているのか不明なアリティーナが、ただ一つ確実に言えることだけを。
「……ド、ラゴン、ハン、ター……」