第二十八話 悪役令嬢(1)
色取り取りの美し花々が咲き乱れる、美しい庭園。まだ太陽が沈むまで少し猶予があるが、その光に照らされて綺麗に整えられた花たちはそれぞれの色合いで輝いている。
その中心に拵えられた、白く輝くテラス。
「……あそこか」
そこに、ティナは立っていた。この庭園は学園でも特別な場所で、許可を取った人間しか入れないティナは勿論許可を得て庭園を訪れていた。
ただし、その許可をくれた相手とは、新入生であるはずのエインス・ネウ公爵令嬢だった。
――なんで新入生がそんな権利持ってるんだ?
ミリアが言っていたが、どうも学園生徒会である『黄金の薔薇』の実権はエインス・ネウが所有しているという話は事実らしい。どういう理屈かは不明だが、とにかくお呼ばれしたからには断れない。何しろ相手は、公爵家でこちらは伯爵家。格が全然違うのだ。
それに、相手はティナ――本来のアリティーナ・フェルベッキオが倒れた元凶と思われる人物。ティナ自身、話を聞く価値はあると思っていた。
そうと決め、庭園の中を歩きテラスへ向かっていると、
「……ん?」
もぞもぞと、庭園の花たちが不規則に動き出した。
「……っ」
風の動きではない。そこに誰か居ると思い、腕輪に力を込めて身構えると、
「……あら?」
「うん?」
ひょこっと、花たちの間から何かが出てきた。
現れたのは、麦わら帽子をした一人の少女だった。年齢はティナと同じくらいだろう。
ボサボサした灰色の髪に、地味な茶色の瞳。眼鏡をかけた顔にはそばかすがある。失礼ながら、貴族たちの学園にしては見窄らしく見えた。
格好も、農民が着る簡素な作業着を泥だらけにしていた。どうも、今まで地面に寝そべるような形で作業をしていたらしく、手には鎌が握られている。
美しい庭園の中、美しい絵画に墨でも落ちたような違和感が発生していた。
「あ、あ……その、ごめんなさい!」
「は?」
すると、突然勢いよく頭を下げられた。あまりの速さに泥が飛び散り、危うくかかるところだったのをなんとか回避する。
「こんな姿見せて! あの、私この庭園の管理を任されていて、今雑草を刈っていたのですが思ったより強靱な奴でなんとか頑張って掘り出したんですが、出るなって言われているのについ喜びのあまり頭出しちゃって……!」
「いや別に姿見せたくらいで謝らなくていいけど……」
やはり、この庭園の庭しか何からしい。随分若いが、見習いなのかもしれない。変に力強く謝ってくるので、なんとかティナは宥めようとする。
「いいえ、学園の生徒様にこんな恥ずかしい姿見せるなんて、本当に申し訳ありません! 一介の生徒に過ぎない私に花たちを任せてくれるだけでも感謝なのに、泥まみれの汚い姿を拝見させるなんてあってはいけないのに……」
「……え? 生徒なの?」
「はい! 今年度よりドニアス連合国から参りました、セニア・ミルウェイです! ごめんなさい!」
「いや、そこは謝るところじゃ……ていうか、なんで新入生が庭いじってるの?」
今の時間帯ならば、入学式が終わったから新入生たちはそれぞれの学園寮に移動して説明を受けているはず。当然ティナもそれに向かうはずだったが、学園長とエインスの呼び出しから許可を貰って外れたのだ。受けるはずだった説明や連絡事項の類は、ミリアが後で報告してくれることになっていた。
だというのに、このセニアという少女は何故こんなところで庭いじりなんかしているのか。ティナは不思議で仕方なかった。
「はい! 実はこの庭園は元々有名な庭師だった祖父が造ったもので、私の家がその管理を請け負っています。ですが、祖父が亡くなり父が継いだのですが、先日腰を痛めてしまいまして、私が代行することになったのです! ごめんなさい!」
「だから謝ることじゃないって……ちょっと待て、別にそれだと今手入れする必要無くないか? そんなもの、後でいくらでも出来るだろ」
「いいえ、今日は特別なお客様がこちらを訪れるとのことで、失礼の無いよう庭も完璧に整えろと壊れましたもので、ごめんなさい!」
「君それ癖か何かなの? しかし特別な客って……」
ふと、そこまで考えて、
ティナは、背後に殺気を感じた。
「――っ!」
咄嗟に身を翻し、腕輪からパイルバンカーを取り出すと、背後の相手へと突きつけた。
「おわっ……!」
「ん?」
相手の驚く声に、パイルバンカーを止めて確認する。
そこにいたのは、学園の制服を着た男子生徒だった。ただしネクタイの色は青色になっている。これは、今は三年生が着用している色だ。つまりティナとセニアの先輩に当たる人物となる。
金髪のショートカットに、澄んだ宝石のような碧眼。まるで石像のような完成されすぎた顔立ち。どこかの誰かを思わせる、端正の取れた美青年だった。
それもそのはず。この少年の正体は、
「失礼だな。生徒会長に向かってそんなものを突きつけるとは。しかも、僕がこのペチニア王国の王族と知っていてのことかい?」
「……失礼しました」
そう詫びてパイルバンカーを戻す。確かに、ティナがしたことは不敬罪どころではない大事だった。
相手は、この国の王族――オルテッド・デュラク王子殿下なのだから。
だが、本来ならすぐ衛兵を呼んで取り押さえるくらいしてもいいはずの事だというのに、オルテッドはふんと鼻を鳴らすだけですぐに切り替えた。
「それより、彼女が待っている。既にこちらを立ったと聞いていたのに、何をしているんだ? 首を長くしているのだから、走ってでも来たまえよ」
「彼女……ああ、そうでしたね」
この王子、どうもこちらを探しに来たらしかった。あまりに遅れているので業を煮やしたのだろう。王子がこんなパシリのような真似をするとは国民からすれば信じられないことのはず。
つまり、それをさせるだけの力を、その相手とやらが持っているということだ。
「分かりました。今すぐ向かいます」
「早くしろ。……しかし」
オルテッドと共に向かおうとしたが、彼はふと足を止めてじっと睨み付けてきた。
睨んでいる相手は、セニアだった。突然王族に睨まれ、彼女は「ひっ」と怯える。
「……なんだその格好は。仮にも王侯貴族が通うこの美しい庭園を、そのような汚らしい格好でいるのが許されると思うのか?」
「あ、そ、その、あ……ごめんなさい!」
「何がごめんなさいだ。最低限の礼儀も持ち合わせていないようだな。確か、お前は男爵家の娘だったな。男爵というのは、子供にこんな低俗な教育しか出来ないものなのか?」
「そ、その……」
何も言えなくなってしまい、小さく縮こまるセニア。それでもなお、オルテッドは威圧的な態度を崩さなかった。
――馬鹿なこと言ってるな。
庭仕事していれば泥まみれになって当然だろう、と内心呆れていた。ましてや、かなり強引に呼びつけてやらせているのにあまりに一方的な言い草だと毒づきたくなった。
「ここは、彼女のお気に入りの場所だ。そのような場所を君のような者が汚すとは、許されざる悪行だよ。ここの生徒にこのような愚劣極まる者がいるとは、やはり下等な家の者は――ひっ!?」
まだ長々と語っているオルテッドの顔面に、先ほど同様パイルバンカーを突き出した。
顔面を貫くギリギリというところで止めたので、彼は尻餅をついてしまった。
「な、何をする!」
「……失礼しました。こちらの腕輪、先頃に国王陛下から賜ったものですが、どうにも慣れていなくて意図しないときに出てしまうのです。お許しください」
「へ、陛下からだと……?」
怒り心頭のオルテッドだったが、陛下の名を出されると黙らざるを得なかった。それがどういう意味を持つか、彼と手分かっていると言うことだろう。
「ちっ……まあいい。とにかく、君は向かいたまえ。彼女が……エインが待っているからな」
「承知しました。では、失礼させていただきます――と、その前に」
そう言うと、思いだしたようにティナは振り返ると、まだ固まったままのセニアの傍へ寄り、顔を耳元へ近づけると、
「とっとと行け。こいつ何するか分からんぞ」
「え……?」
とだけ言ってセニアを離れさせる。
後ろ姿を確認したティナは、ようやく立ち上がったオルテッドに対して、
「さて、では行きましょうか王子殿下様?」
などと笑いかけるのだった。