【魔王と勇者】短編① 紅茶と茶菓子
リハビリがてらですが、急遽書きました。外伝的なお話です。
時間軸は厳密に指定していませんが、アンハイム赴任前ぐらいです。
窓の外が暗くなった時間、夕食後も書類の山と格闘していると、小さく扉をノックする音に気が付いた。
「どうぞー」
口に出してからこの口調じゃ前世のサラリーマン時代の返事だな、と思わず苦笑い。忙しいときにはつい前世の癖のようなものが出てしまうらしい。
「失礼します」
返答を確認し、ワゴンをおしてリリーが室内に入ってきた。作業をしていたデスクの上だけ明かりをつけていたせいか、室内が暗いせいで微妙に幽霊っぽい、とか言ったらさすがに怒るだろうか。
そんな内心に気が付くはずもなく笑顔を向けてこられたんでなんかちょっと罪悪感。
「ヴェルナー様、一休みしてはいかがでしょう?」
「あー、そうだな……そっちのテーブルで」
書類が山積みになってるデスクの上を見てリリーも納得したように頷き、部屋に招くような来客時に使うソファーのあるテーブルの方にある魔道ランプに“火を入れ”ている。羊皮紙とか魔皮紙は普通の紙よりは水分に強いが、さすがにその上で紅茶をこぼしたりしたら大惨事だ。提出用書類に染みを作ったりするわけにもいかん。
どうでもいいがこの世界では“明かりを点ける”の意味で“火を入れる”って表現を使う事があるのは面白い。前世だと混乱間違いなしである。火を点けた蝋燭を容器の中に入れるタイプのランプが先にあった名残だろうか。
俺がデスクの上を軽く片付けている間にリリーが菓子を載せた皿とティーカップを並べている。だいぶ慣れてきたらしい。そう言えばノルベルトもすじがいいと褒めていたな。
「わざわざ悪いね」
「いいえ、いつもお疲れ様です」
「お疲れ様ですなのはリリーもだと思うけどな」
これは本心。メイドの仕事ってのも楽じゃない。朝は主人一家より早く起きてカーテンの開け閉めをやったり、朝食のためのテーブルクロスにアイロンをかけたりするし、夜は夜で戸締りの確認とかがあるんで寝るのは主人一家より遅くなる。
そんな中で他人に気を使ってくれているんだから申し訳ない。そんなことを思いながら菓子皿の上に珍しいものが置いてあるのを目撃する。
「林檎の菓子かな」
「はい、お疲れの時には甘いものがいいかなと思いまして、お願いして作らせていただきました」
「わざわざ作ってくれたのか、ありがとう」
スライスした林檎に砂糖がまぶしてある……だけじゃないなこれ。油で揚げてあるのか? とりあえず一口齧ってみると甘みとカリカリした歯ごたえが悪くない。
味も歯ごたえも悪くないんだけどカロリー的には夜に食べたら肥りそうだが、気をきかして作ってくれたものにまさかそんな事を言うわけにもいかないか。この世界にはカロリーなんて概念はまだないし。
「どうやって作るのこれ」
「ええと、林檎をスライスして、一度お砂糖をまぶしてから油で揚げて、その後でもう一度お砂糖を振りかけるんです」
「へえ」
何となくだが、最初に砂糖をまぶすのはこの世界の林檎はまだ品種改良が進んでないので酸味が強いからじゃないかという気がする。前世に同じものを作ったら、最後は砂糖じゃなくシナモンか何かにしないと甘くなりすぎるんじゃなかろうか。作ったことがないからわからんけど。
「結構手間がかかるんだな」
「はい、最初は怖かったです」
リリーの発言に思わずカップに伸びていた手が止まる。
「こわ?」
「たくさんお砂糖と油を使うので……」
俺自身がよくわからん反応をしたのに対し、ちょっと恥ずかしそうにリリーがそう言葉を継ぐ。そりゃそうか。村での生活でそんな砂糖を使う事はないだろう。油だって揚げ物をするほど使う事は稀だろうしな。
ちなみに胡椒が高価だったことはよく知られているが、砂糖が高価だったことを示す逸話もある。欧州でとある国が他国から姫君を迎える際、国力の差もあったのだろうが姫君に持たせる持参金として「船一杯の銀」を要求した。
それに対して姫君の国の方は銀ではなく「船一杯の砂糖」を持参金として相手の国に送り届け、結果的に相手の国は銀よりもそのほうが喜んだという話だ。食い意地が張っていただけじゃないのかと言う疑念はひとまず脇に置いておく。
「まあ、そのあたりはおいおい慣れて行ってくれればいいよ」
「はい」
思ったのは最初にそんな菓子の作り方を教えたのが誰かは知らんが、貴族社会と平民としての生活の違いを実感させるためだったんじゃなかろうか。だとしたらなかなか曲者だな。
そんなことを思いながら……うん、ちょっと居心地悪い。いや、それがこの世界では普通なのは理解しているんだが、作ってくれた側の女の子がにこにこしながら立って見ている先で、俺だけが座って食べているのはちょっと気になる。
「リリーもそっち座って」
「え、いえ、お立場もありますから、お気遣いなく」
向かいの席を指さしてそう言ってみたが、あっさりと断られた。立場があるのはそうだろうけど、前世知識がある身としては落ち着かないんだよ。
とは言えティーカップも一つしかないのは確かか……あ、あれがあったな。
「ちょっと待ってて」
リリーにそう声をかけて一度デスクに向かい、一番下の引き出しからゴブレットを取り出す。リリーが驚いた顔を浮かべた。
「え、そんなところに入れ物があるんですか」
「寝酒用だけどね」
ついでに言うとたまにしか飲まないというか飲めないけど。貴族がゴブレットで紅茶を飲むのはマナー違反と言うよりはマナーの埒外だろうかとか一瞬思いつつ、戦場ならスープを入れる器に酒入れて飲む奴もいるぐらいだから気にしない。
悪戯を思いついたんでとりあえず自分の席の前にゴブレットを置いて、リリーの前に移動。そのまま、わざとらしいぐらい大げさにリリーの前で貴族としての態度で一礼をしてみる。
「いかがでしょうか、お嬢さん。しばしお時間を私のためにとっていただき、お茶を一席、お付き合い願えませんでしょうか」
「……え? え? あの、え?」
パニックを起こしてるリリーが、生まれて初めて庭に連れ出されて挙動不審になっている子犬でも見るようでちょっと楽しい。笑いを堪えながら片手を取って向かいの席に誘導して座らせてしまう。
思わずと言う感じで座ってしまった後になおもきょろきょろ周囲を見回しているリリーを見て、ついにこらえきれなくなって噴き出した。
「ヴェルナー様、笑うのは酷いです……」
「ごめんごめん、でも一人で飲み食いしてもおいしくないから」
そう言って自分の席に座り直し、自分の前に置いてあった紅茶のカップをリリーの前に押し出す。
「怒られないように俺からも言っておくから。ついでにマゼルの話でも聞かせてもらおうかな」
「……解りました」
ちょっとむくれた表情を浮かべているが、さすがに今更立ち上がる気はないらしい。宥めながら林檎揚げを勧めて、砂糖の甘さに顔がほころんでいる様子を見学。
その後で二人で紅茶を口にしながら、たまに紅茶の中にフルーツを入れたりすると説明してまた驚かれた。紅茶そのものも高価だし果実も高価だからなあ。そのあたりは自分が貴族階級育ちだと改めて実感するしかない。
なお冷房機器がないのでこの世界でアイスティーを飲むチャンスはほぼない。実は前世でも氷を入れたアイスティーって一九〇〇年代までなかったんだけどな。
「よく知らないけど、ストロベリーなんかは美肌効果もあるらしいよ」
「そ、そうなんですか?」
食いつかれた。いや、この世界でもストロベリーとかにビタミンCが豊富かどうか知らんけど。前世では俺もそんなに詳しくなかったしなあ。どうせペットボトルの飲み物ばっかりでしたよ。
「せっかくだから今度、果実入りのを飲んでみようか」
「あ、ええと、その……」
「またご招待しないと駄目かな」
「あ、あれはその、禁止でお願いします!」
パニックを起こしたのがよほど恥ずかしかったのか真っ赤になって否定されてしまった。思わず笑いそうになって笑ったらまたむくれるだろうなと我慢。リリーには悪いが確かにちょうどいい気分転換になるなこれ。
なお翌日、こんなことがあったんだがリリーを怒らないでくれ、と伝えたら俺が女の子とお茶の席を囲むなんて珍しいと館の中で珍しがられることに。あれ、なんか藪蛇だっただろうか。
揚げ林檎は実際に中世でもこの方法で作られていました。
焼くのではなく揚げる分だけ贅沢品だったそうです。
紅茶をヴェルナーとリリーにもおすそ分け。
千葉県のK様、差し入れありがとうございました。