第七章『玉彦のお見合い』
大学を卒業して正武家の次代として本格始動した玉彦は、日々のお役目に励み、私という妻を迎えて、子どもたちも来年には産まれるし、順風満帆だ。
けれど、だがしかし。
正武家の次代としてまだ欠けているものがあり、ここ二、三年玉彦も頑張ってはいるものの、どうしようもならないことがあった。
私が何とか協力できるものだったら良いのだけれど、こればっかりは玉彦が頑張るしかないので見守ることしかできない。
澄彦さんが次代の時にはかなりスムーズに事が運び、楽勝だったよ、と今日の朝餉の席で高笑いをして沈む玉彦を容赦なく刺激した。
晩秋が終わりつつあり、そろそろ朝の寒さを感じる今日この頃。
私のお腹は双子がいるはずなのにあまり大きくはなってくれない。
骨盤が深いのかしら、と夏子さんが首を傾げていたけれど、二人もいるんだからもうちょっと存在をアピールしてもらいたいものである。
今日は数日ぶりにお役目が無く、いつもなら玉彦とふたりでゆっくり朝餉のあとの散歩に出掛けるのだけれど、お役目ではない正武家次代のすべきことがあり、玉彦は昨日の夜からどんよりと沈んでいた。
と言っても、しっかり食欲はあるし、朝の修練にも参加していたので身体に問題はない。
問題なのは精神、気持ちなのだった。
下ろし立ての真っ白い着物と黒い羽織に袖を通した玉彦は、縁側で姿勢正しく正座をして目を閉じ、稀人の声掛けを待っていた。
予定では十時なのに八時からこんな事をしているということは、かなり玉彦的に切羽詰まっていることが窺える。
凛々しい姿なのにどこか間抜けに私の目には映った。
どれ、緊張を解してやろうと隣に座れば、玉彦は間髪入れずに私にひしっと抱き付いてきた。
やだ、ちょっと可愛い。
ぽんぽんと背中を叩いて宥めると、増々擦り寄って来るので両腕で抱きしめる。
「今日こそ、上手く行くわよ。大丈夫」
「その台詞は前回も言っていたではないか」
「そうだっけ? まぁ何とかなるわよ。今日が駄目でも次があるでしょうよ」
「俺は何度このようなことを繰り返さねばならぬのか……」
「そうねぇ。お相手が決まるまでかしらねぇ。自分のコミュニケーション能力の低さが問題なんだから仕方ないでしょうよ」
「比和子は俺が見合いをしても何とも思わないのか」
「だってあんた、お見合いって言ったって。どうして私が何か思わなくちゃいけないのよ。しっかり良い人、見つけてきなさいとしか言えないわよ」
「あぁっ、憂鬱だ……! 行きたくない。会いたくない。逃げ出してしまいたいっ!」
ここまでネガティブに感情を口にする玉彦も珍しいものだと思いながら背中を擦り、私は秋晴れの空を縁側から見上げた。
正武家玉彦、二十五歳。
断り続けて本日二十一回目のお見合いの日であります。
正武家当主の澄彦さんが次代だった頃、やはり同じような時期にお見合いが慣行され、見事一回目の一人目でばっちり話は纏まったそうだ。
玉彦はこれまで一回当たり三人の方とお見合いをして二十回失敗している。六十人の方と縁が無かった計算だ。
正武家の歴史に残る珍事だとお見合いの度に澄彦さんは笑い転げていた。
さてこのお見合い。
なにも玉彦の生涯の伴侶を決めるために行われている、ものではない。
伴侶は私である。
じゃあ一体何のお見合いなのかというと、正武家と外界、特に政財界を繋ぐ為のパートナーを決める為のものである。
正武家では代々専属の政治家と懇意にしていて、お互いに何かと色々持ちつ持たれつの関係らしい。
専属の政治家は正武家家人一人に一人だけ、どちらかが亡くなってしまえば関係は解消されて跡継ぎがいようとも関係が継続されることは無い。
本人同士が互いに信頼し、一蓮托生の思いでパートナー関係を結ぶのだ、とは澄彦さんの談で、果たして彼が懇意にしている政治家の人間を信頼しているのか本当は疑わしいところである。
ちなみに澄彦さんが懇意にしている政治家は豊綱さんという。
時々テレビでも見かけるほどの大物政治家で、当選回数二桁の骨の髄まで政治家。
涛川の狸や五村の狸勢力の本当の狸親父と同じような恰幅の良い人だけれど、清潔感に溢れ、いやらしい感じもなく、けれどどこか冷徹で、それでいて澄彦さんの息子の玉彦を幼い頃から溺愛しているおじさんだ。
私が初めて彼の名前を聞いたのは中学一年生の頃で、澄彦さんが五村を留守にして玉彦が寂しがっているだろうと夏休みに来村していた。
その時に亜由美ちゃんの家に初めて遊びに行って、帰りに那奈と一悶着があったからよく覚えている。
なぜか上から目線の玉彦に御札を貰ったのはその前だったけれど、その時も実は豊綱さんが来ていたと聞いたのは、つい最近、南天さんからだった。
豊綱さんは玉彦を思って数日置いて田舎の鈴白に来てくれていたのに、二回目に来た時には玉彦がお前が来ると比和子が遊びに来られないと癇癪を起して追い返してしまったそうだ。
そんな玉彦の癇癪を怒りもせず、そうかそうかと笑って許してくれるほど懐の深い御仁だ。
玉彦の癇癪を物ともせず、澄彦さんの我儘にも付き合える豊綱さんって、本当にすごいと思う。
しかも彼は先代道彦の遺言も知っているので、澄彦さんが娯楽に散財しようとしても絶対に協力はしないので、松竹梅姉妹からの信頼も絶大だった。
彼が澄彦さんとお見合いをしたのはまだ二十代の頃で、まだまだ政治家としてはペーペーだった。
参議院でようやく一度目の登院をした時だったそうだ。
コネも何もない彼がどの様に政治家人生を駆け上がったのか、私には想像も出来ない。
しかし何かしら正武家の影響もあったのかとも思う。
政治家先生からのお役目の依頼は全て豊綱議員を通して入って来る。
それ以外の伝手で来た政治家先生からのお役目は絶対に澄彦さんは受けない。
正武家は政に介入することを良しとしていないこともあり、おかしなところで正武家と繋がりがあると吹聴されても困るからだそうである。
そんな訳で政財界界隈で不可思議なことが起こると、政党の垣根を越えて豊綱さんのところに話が集まり、色々とお付き合いが生れる。
そこで紡がれた縁を生かすのか殺すのかはその人次第で、豊綱さんは上手いこと活用している様である。
澄彦さんが一体なぜ一年生議員だった豊綱さんを選んだのか、それは誰にも解らない。
本人にも解らないそうだ。
ただ一つ言えることは、インスピレーション。
コイツとは長い付き合いになるぞ、という直感だったそうだ。
澄彦さんはそれがお見合いの一回目の一人目であり、息子の玉彦は二十回、六十人の人と会っているのに無いのだった。




