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私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~  作者: 清水 律
私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~
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36


 眼を背ければどうなるのか、わからなかったわけじゃない。

 拘束されていた航太郎さんが動き出し、八紘さんもそして私も危険に晒される。

 既に網元夫妻を手に掛けているであろう彼の母親の次の狙いは息子の八紘さんであり、なぜか私でもある。

 だだっ広い原っぱで遮る物もなく、獲物が二人御膳立てされているような状態なのだ。

 そして身体が自由になった今、母親の標的は離れた場所にいる私ではなく、手を伸ばせば捕まえられる眼前の八紘さんだった。


 不意に動きを止められ、怒りの感情が込み上がっているところに駄目押しとばかりに八紘さんが襲い掛かった。

 抵抗することも出来ずにただ殴られ続け、一旦身体から出ようとしても神守の眼の影響で出ることすら叶わなかった。

 膨らみ続けた憎悪は拘束が解かれて溢れだす感情のまま、馬乗りになっていた八紘さんへと向けられた。


 眼で止めていた時は航太郎さんの姿だった身体は、二重にブレて水死体の姿が強く出た。

 追い掛けてくる航太郎さんがおっかない顔をしていたと言った八紘さんはその時にはまだそれしか見えていなかったのだろう。

 しかし自分の足に挟めた航太郎さんの姿が人為らざる者に変わり、身を仰け反らせて尻餅をついた。

 静かにゆらりと立ち上がる母親の、その大人しい動きが逆に恐怖心を沸き上がらせる。

 じりじりと迫られ、八紘さんはじりじりと尻餅のまま後ずさる。


 そして私は、動けないでいた。


 すぐにでも眼で止めてしまわなければならないことは解ってた。

 でもそれだとまた八紘さんは殴りかかってしまうだろう。

 与えられた恐怖に煽られて、さっきよりも酷いことをするかもしれない。

 しかし止めなければ八紘さんが殺されてしまう。

 養父母だった網元夫妻のように海へと落とされて。

 憑りつかれ、海に落ち、溺死するまで身体は動かないまま。


 睨み合ったまま動きを見せない二人を見つめ、あっと思い付く。

 いっその事、航太郎さんも八紘さんも視界の範囲内にいるからこのまま二人を止めてしまえばいいのかな!?

 ちょっと眼の負担は大きいけれど、たぶんそれが一番良い。

 問題なのは持続時間だ。

 既に眼は熱を持ち始めて、残されている時間は多くはない。


 気持ちを整えて、右手を翳す。

 しっかりと目標物を眼に捉えて、いつでも、どこでも、平常心!

 九条さんとの合言葉を胸に気合を入れた私の鼻に、もわわんと腐臭が届いた。


「ええええぇぇっ……。勘弁してよ~……」


 辺りを見渡しても腐臭の主の姿は見えない。

 でも必ず近くに来ている。風上の方向から来るはずだ。

 それは私の後方で、恐る恐る振り返れば、ほんの二メートルほどにまで迫っていたさっきの男の僵尸と目があった。ような気がした。


 てっきりあっちで豹馬くんが何とかしていると思っていた僵尸の登場に、私は飛び上がり、そして八紘さんに向かって走り出した。

 睨み合いを続けていた二人の間に割って入って、彼の腕を取る。


「逃げるわよ! 僵尸もきちゃったから!」


 ぐいっと引っ張っても腰が抜けているのか八紘さんは這い蹲るばかりで、迫る僵尸との距離が縮まるばかりだ。

 そして鼻血を出して悲惨な膨れ上がった顔をした航太郎さんが僵尸へと視線をゆっくりと移す。

 身体の輪郭が歪み、水死体の姿が航太郎さんから離れ、僵尸へと向かって行く。

 きっと航太郎さんの身体では八紘さんを仕留める力が無いと判断して、さっきの僵尸に再び鞍替えするつもりなんだ。

 この隙に暗闇へと身を潜めればやり過ごせるかもしれない。

 八紘さんの反射シールが付いた上着を乱暴に脱がし、林へ! と指差して私はどさりと足元に倒れ込んだ航太郎さんに目を向けた。

 意識が戻らない航太郎さんを放っておくことは出来ないし、とりあえず僵尸相手なら八紘さんは何もしてこないだろう。

 ていうか、逃げたまま戻って来ないだろう。

 母親が僵尸に移り、止められれば一石二鳥。

 あとは玉彦の到着を待つだけだ。


 ……いつ来てくれるのかな。


 鈴を鳴らしてから結構時間が過ぎている気がするんだけど……。


 玉彦ってばいっつも御倉神並みに来るのが遅いんだよね……。


 ちょっとだけしんみりして、三度目となる右手を翳せば、僵尸との姿を重ならせた母親の、さらに後方にぼんやりと白い影が浮かび上がり、瞬く間に接近した。

 そして両脇から黒い影も二つ躍り出て、片方は僵尸の背中に飛び蹴りをかまして、もう片方は私に駆け寄った。

 その姿を確認した私は、へたり込んだ。


「九条さん……。走れるんですね……」


「毎朝五キロ、走っていますから。大丈夫ですか。お怪我はありませんか」


 散々な具合になっている航太郎さんに目を向けた九条さんは、私の手を取って拳を確認する。

 いや、私が殴ったわけじゃないんですけども。

 説明するのも面倒で、私はただ首を横に振った。

 片膝を付いた九条さんに背中を摩られつつ前を向けば、玉彦と豹馬くんが祓いを行っている最中で、私の肩から増々力が抜ける。

 干乾びた僵尸から八紘さんの母親が浮かび上がり、二度目の宣呪言で昇華される。

 その時、一瞬だけ生前の姿に戻った母親は豹馬くんに何かを言って、私の背後にある海を指差した。


 陽が昇ってから再び訪れた遊具もない公園には、網元夫妻が命を落とした崖があった。




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