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「しっかり三時間寝てたじゃねぇか……」
そう呟く豹馬くんに麦茶を手渡され、九条さんは美味しそうに喉を鳴らして飲み干す。
私は九条さんが一息つくのを待ってから尋ねた。
やっぱり九条さんも視えていたんだ。
「地縛霊ですか?」
「そうです。強い思いに縛られてしまっています。恐らくあれは八紘の母親でしょうね」
「え?」
八紘さんの母親は八年前に彼を捨てて島を出て行ったと聞いている。
その後は行方知れずだと。
現代の日本で生活をするならば戸籍や住民票は必要だし、彼女がもし死んでしまっているとしたら八紘さんの戸籍を取り寄せれば記載されているんじゃないだろうか。
それに行方不明になった後に亡くなったとしても、遺体から身元が判明して、島の両親へ連絡が来るはずだ。
私がそう九条さんに言えば、代わりに豹馬くんが答えた。
「失踪の理由が理由だから行方不明者届は出さなかったんじゃねぇの?」
「そんなことってある?」
「あるんだろ。死体がなく、行方不明者届が出されていないなら、島以外の人間からすれば、母親は島で生活してることになる。無職なら税金も年金も健康保険だって免除されるだろうからな。放って置いて発覚するのは八十年後ってところか」
「なんで発覚するのよ」
「八紘の母親が二十歳くらいで子どもを生んだとして、今四十くらいとするだろ。そっから八十年経てば国内最高齢だ。騒がれるだろ、普通に。その前に年金受給のお知らせかなんかで発覚する可能性が高いけどな」
「発覚したところで行方不明であるということが知られるだけで、彼女の生死までは分かりませんがね。私たちからすれば死んでいると分かりますが」
私たちは視えているからもうこの世のものじゃないと分かるけれど、普通は遺体があって初めて判断される。動かぬ証拠というやつだ。
私たちのように視える人間というのは限られている。そして信じてもらえないのが大半なのである。
証拠がなければ死んだと証明されない。
そして証拠が無くても死んだと判断する為には、家族が裁判所で失踪宣告を受けなければならない。
ただしこれは法律上の死であって、本当に死んでいるのかどうかはまた別のお話である。
しかし、である。
豹馬くんが言っていたどろっどろの人を九条さんは八紘さんの母親だという。
すでにもう死んでいるからこそ、紘雄さんの初七日に現れたのだろう。そんな姿になってまで。
彼女はどんな思いに縛られて姿を現したのか。
単純な私は彼女が紘雄さんにまだ想いを寄せていたから、とか、実は紘雄さんに殺されたから、とか考えたけれど、だったらなぜ私を襲わせるような真似をしたのかと考えれば、二つの理由は違うような気がした。
「ともかく不穏なものには近付かないこと。何かあれば次代か豹馬を呼ぶこと。これが全てですよ、比和子さん」
「九条さんを呼んじゃダメなんですか?」
「あなた、老体に鞭を打たせるおつもりですか」
半目になって私を見た九条さんは、やはりどことなく孫の豹馬くんと似たような顔になった。
茶の間に九条さんと豹馬くんを残し、私は部屋へと戻る。
というか、まだ寝ている玉彦の様子を見に席を立った。
安全なところで寝ているとはいえ、やはり心配なのである。
出来るだけ足音を忍ばせて部屋へと向かい、中を覗けば既に玉彦も起き上がって身形を整えていた。
すすすっと慣れた手つきで着物を纏う玉彦は、何度見てもカッコいい。
洋服って上はともかくパンツなどを履く際にどうしてもちょっと間抜けな格好になりやすい。
その点着物は立ち姿が美しく、着替える姿を見ていても飽きないのだ。私だけかもしれないけど。
「玉彦。もう起きるの?」
「起きる。こうも数日昼に寝ていると身体が鈍る」
「でも無理はしちゃダメよ?」
気遣う言葉を掛ければ玉彦は俯き加減で微笑む。
たったこれだけのことで機嫌が良くなる玉彦は私と同じくらい単純だ。
「お腹は空いてない? 今日は何時から出るの?」
茶の間に向かいつつ、玉彦に纏わりつくように歩く。
すると立ち止まった玉彦は静まり返った廊下を見渡してから、両腕を伸ばして私を抱きしめた。
ぎゅうっと強く抱きしめてから何事も無かったかのように再び歩き出し、私は首を傾げた。
今のは何の反応だったのだろうか。
茶の間に玉彦が姿を現すと、既に九条さんは居らず、豹馬くんに聞けばお風呂へと行ってしまった様である。
そして卓袱台に着いた玉彦に先ほどの話をすれば、たいして驚くこともなく、そうか、とだけだった。
これは、あれだ。
僵尸ならばいざ知らず、そんな小物はどうでも良いってヤツ。
ただ流石に人を惑わせて襲わせるようなモノは見つけ次第対処はするという。
ということは見つからなければ放っておくってこと。
僵尸の件が終わるまでに発見しないと、八紘さんの母親と思われる豹馬くん曰くすげぇのは私たちが島を去った後、大人しく消えてくわけではないと思うので、何とかしなきゃと思う。
私がそう思うのは、なにも自分が襲われたからではない。
ずっと気になっていたことがある。
それは紘夢くんの両親の死因だ。
二人とも『不慮の事故』で亡くなった、と住職さんは言っていた。
本当に『不慮の事故』だったのか。
海に囲まれた島で育った二人が、島の人間がほとんど立ち入らない断崖へ行き、そこから海へ落ちて、溺死する。
そこに何者も介入していなかったのか。
腹が減ったとおせんべいをバリバリ食べる玉彦をぼんやりと見ながら、私は色々と考えていた。




