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私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~  作者: 清水 律
私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~
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2



 いつかね。いつかこういうことが起こると思ってた。


 私はずっと、思ってた。


 神守の眼が云々じゃなくて、誰にでも予想できた。




 タクシーから降りてきたのは若い女性で、田舎の景色に浮いて見えるほどオシャレなベージュの薄手のトレンチコートにグレーのパンツスーツ。

 今日は秋とはいえ暑い方だから薄いトレンチコートでも厳しいなぁと内心思う。

 でも彼女のコーディネートを見れば機能の問題ではなく、見た目重視のようなのでオシャレには気合と根性と我慢が必要と言っていた小町の言葉を思い出す。

 栗色の髪はきっちりとシニヨンに纏められて、いかにも颯爽と活躍して働く女性だ。

 小顔のキツメの表情をしたその人は、運転手さんがトランクから自分の荷物を取り出すのを見届けもせずに大きい歩幅でずんずんと私に迫り、大きく右手を振り上げた。


「この、泥棒猫!」


「へっ?」


 見事な右手のスウィングがスローモーションで私に襲い掛かり、驚きのあまり動けないでいたら、私のお目付け役の黒駒が彼女に体当たりをかまして土埃を上げて倒れた襲撃者に唸り声を上げる。

 私はどくどくと鳴る心臓を着物の上から押さえて、呆然とした。


 ど、泥棒猫って……。

 今どきそんな言葉を本当に使うのか……。

 ……いやいやいやいや。そうじゃない。そこじゃないわよ、私!


 泥棒猫って言葉を女性に使う場合、それは自分の彼氏とか夫が浮気して、その相手の女性に彼女や奥さんが使う。

 どう考えたって玉彦の奥さんは私だし、泥棒猫という言葉を使う権利は私にある。

 そもそも玉彦が、あの玉彦が浮気なんて絶対にするはずがない。四六時中一緒に居て浮気が出来るのなら、その方法を教えて欲しい。

 それに私だって誰かと浮気してる訳じゃない。

 ようやく子供も授かってより絆が深まった今、そんなこと考えるはずもない。

 あぁでも男の人は奥さんが妊娠してる間に浮気に走るって言うし、いや、でも玉彦に限って絶対にそんなことは無いと言い切れる。


 そんなことを目まぐるしく脳内で考え、横倒しになり背中を上に乗った黒駒に押さえつけられて号泣する彼女を見ていたら、タクシーの運転手さんが無線で会社に連絡をして、そこから正武家に一報が入り、そして黒駒の気配に異常があったと感じた多門と須藤くんが離れの事務所から知らされる前に石段を駆け降りてきた。

 襲撃からまだ五分も経っていない。運転手さんの通報からはこんなに早く駆け付けられない。


 須藤くんと多門は石段と飛ぶように降りて来て、私と彼女の間に立ちはだかる。

 そして門前さん夫婦に背中で庇われていた私を見た多門は身体に異常がないか素早く確かめて安堵の息を吐く。


「何があったのさ。比和子ちゃん。あ、門前さん。奥方様をありがとうございます」


「いっ、いえいえいえいえいいえー」


 軽く頭を下げた稀人の多門に夫婦は恐縮して下がり、運転手さんと並ぶ。

 どうやら立ち去る気は無いらしい。

 刺激の少ない田舎に起こった数少ない事件である。

 これは後で恰好の噂話になるなぁと思う。


 黒駒を背に乗せたままの女性を凝視していた須藤くんを見て、私はもう、やっぱりとしか言えない。

 多門は黒駒を一撫でしてしゃがみ込み、号泣する女性の髪をぞんざいに掴み上げ顔を上げさせる。


「で? お前は何なの? 次代の奥方様に何してくれてんの? 死にたいの?」


「こら、多門。須藤くんも固まってないで、動いて」


「あ、うん。ごめん。多門、手を離せ。彼女は僕の、元カノだから。佐知さち、どうしてこんなことを」


 須藤くんの簡潔な説明に多門は眉を顰めて手を離し、自分の女の躾くらいきちんとしとけと捨て台詞を吐く。

 女性に対して躾とか失礼よ、と多門を諫めつつ、私は須藤くんに腕を取られて起こされた彼女を見ていた。

 隙がなかったメイクはぐしゃぐしゃに崩れて、手の甲で目を擦るものだから散々になっている。

 しゃくり上げる彼女の背さえ擦る様子の無い須藤くんは困ったように目を伏せた。


「佐知……」


「だって……いきなり別れるとか……納得できない。他に誰か出来たんでしょ!? 涼ってば優しいから断れなかったんでしょ!?」


「そう言う訳じゃないよ。佐知とはもう……」


「そんなの信じられるはずないじゃん! これまで私たち、上手くいってた! 別れる原因なんてなかった!」


 段々とヒートアップしてきた彼女は二人の状況を傍観していた私にキッと目を向けて指差す。


「涼の職場に若い女は二人しか居ないって言ってたよね? この女がそうなんじゃないの? 結婚してるくせに人の彼氏に迫るとか最低なんだけど! こんなののどこが良いのよ!」


「えええええっ……」


 前にもこんな事を言われたなと思いつつ間抜けな声しか発せない私に代わり、多門がズズズッと前に出る。


「おい、てめぇ。勘違いもいい加減にしろよ。この方は次代の奥方様、須藤の上司の。五村民誰もが知ってる有名なオシドリ夫婦なんだぞ。不倫なんかするかバカ!」


 多門の言葉に門前さん夫婦と運転手さんが何度もうんうんと頷く。


「それにな、こんなのとか言うんじゃねぇ。奥方様はお前よりもずっと可愛くて美人だぞ。顔を洗って出直せ、バカ!」


 再びうんうんと頷く三人に頷き返した多門は、私の背中を押して石段へと向かわせた。



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