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隣の座敷の襖も抜いた三十畳の大広間には私たち四人の他に、お寺に集まっていた中から十人、急遽東側から呼ばれた八十近い村長さんと血気盛んそうな息子と思われる中年男性と取り巻きっぽい三人、そしてお屋敷でこれから晩ご飯だったであろう八紘さんと航太郎さん、座敷の真ん中には僵尸の棺。
肝心の紘夢くんの姿はなく、誰かに呼びに行ってもらおうかと思っていると、最後の最後に座敷に現れて片隅にちょこんと座った。
彼が登場すると東西の島民の視線が一斉に集まり、皆無意識なのか高校生の紘夢くんに浅く頭を下げたように私には見えた。
八紘さんや航太郎さんが現れた時には見られなかった反応に、きっと彼が本当の網元の跡継ぎなんだと全員が知っているんだと私は感じた。
役者が揃い、場が整って、深呼吸して深く息を吐き出した私の鼻息に合わて、玉彦が手にしていた黒扇を一度開き、そしてパチンと良い音をさせて閉じた。
それが合図となり、住職さんが両手を畳みに重ねて身体を倒すと、さざ波のように伝播して四人を除く全員が礼をする。
「上げよ」
玉彦の感情の無い声掛けに、島の大広間が惣領の間に切り替わったかのようにぴしりと張り詰めた。
私は手に汗を握る。
時々澄彦さんにお呼ばれして経験の為にと当主の間のお役目に参加することもあったけれど、あくまでも見学程度で私に割り振られた役割は無かった。
玉彦が二年後に大学を卒業し、本格的に鈴白村で正武家の次代として動き出せば私も神守として活躍する機会が増えると九条さんは言う。
それはいずれ訪れるその時に、私が玉彦を守れるように力を持つために必要なことだった。
とりあえず今夜はその前哨戦だ。
下手でもなんでも玉彦の足だけは引っ張らないようにしなきゃいけない。
玉彦はあんなことを言ったけど、上手くやって成功するに越したことはないのだ。
解れていたはずの緊張感は徐々に再び蓄積される。
背後で強張った顔をする私をよそに、大広間を支配する玉彦は閉じた黒扇を手にしたまま下に向け、自分の膝頭にとんと置く。
「正武家玉彦である。此度は網元の代替わりの儀式に参じた。しかし昨夕、そこな佐伯八紘と袂を別った。
理由は区々《くく》たるものではなく、哭之島の存亡に関わるものだった故である。私からすれば島がどうなろうと知ったことではない。放って帰ることも出来たが、中々どうして腑に落ちぬ。網元を継ぐべき者は島の謂れを深く知り、あのようなことを言い出すはずはない。代々受け継がれる書に目を通せば、あのような考えは持たぬはずである。
己の根源を知り、血を知り、島を知る。どうも八紘には佐伯の自覚が全く足りておらぬように感じる」
長々と私だったらつっかえてしまいそうな話を淀みなく口にした玉彦はそこで一呼吸置く。
一拍の合間に目を泳がせた八紘さんが、まっすぐな玉彦の視線を受けてびくっと肩を震わせた。
そして大広間の一番後ろの片隅に座っていた紘夢くんが俯いて唇をきゅっと噛み締める。
「佐伯たるものどうあるべきか、申してみよ。八紘」
問われた八紘さんは隣の航太郎さんに目で縋ったけれど、無情にも航太郎さんはあからさまに顔を背けた。
「さ、佐伯は島民のために島を豊かにして、そのために網元としてみんなに仕事を……」
たどたどしく語る八紘さんは玉彦よりも一つ上で年相応な話し方だったけれど、どうしても先ほどの威厳ある玉彦の姿と比較してしまった私は子ども染みているように感じてしまった。
これならまだ、中学生の玉彦の方がよっぽど自分が将来五村を護るんだぞっていう自覚を持っていたように思う。
自信無く口籠った八紘さんを見てあからさまに溜息を吐いた玉彦は、首を僅かに傾がせた。
「それは網元としてであろうが。佐伯として、どうあるべきか申してみよ」
再び同じことを問われ、何も答えられずに八紘さんは顔を伏せた。
腿の上に握られた拳がふるふるとしている。
さっきの航太郎さんみたいに、今度は八紘さんが玉彦に飛び掛かって来たら私の出番だけれど、玉彦の右手側に正座する豹馬くんの左の足の裏がいつでも踏み出せるように畳に半分着けて浮かされたので、私の出番はないようだ。
たっぷり数分待った玉彦は、黒扇を水平に掲げて大広間の奥を指した。
九条さんと豹馬くん以外の全員の視線がそこに注がれ、黒扇の先にいた紘夢くんがまっすぐに玉彦を見つめる。
「佐伯たるものどうあるべきか、申してみよ。紘夢」
問われた紘夢くんは姿勢をさらに正して、変声期を終えたちょっと枯れた声を大広間に伝えた。
「佐伯たるもの、己が血の過ちを忘れず、島に悲しみをもたらさず、身を粉にして子々孫々罪を償い、そして島民の下僕として網元とし身をやつすべし」
堂々とした紘夢くんの言葉に私は小さく良しっと片腕でガッツポーズをした。
玉彦と九条さん、そして住職さんが予想した通り、本来の佐伯家の跡継ぎである彼には先代の紘雄さんからしっかりと網元としての心得が伝えられていたようだ。
そして一族に代々伝わる、なぜ代替わりの儀式に正武家が関わっているのかが記された書を読んでいるに違いない。
私の中の想像では書は古びた巻物である。
佐伯家の長男だけれど、血が繋がっていない八紘さんには絶対に伝わらない書である。
僵尸になった網元や道士の海福の血は彼には流れていない。
彼が網元になって代替わりの儀式をしたとしても、正武家が増幅と減衰を施すべき血が流れていないので全く意味がないのだ。
儀式は形式だけではなく実質的なものなのだ。
島民に大昔に僵尸が島を襲ったことは伝承されているが、どうして襲われたのか知る者は佐伯一族と正武家関係者のみである。
幼い頃から跡取りとしてご先祖様の話を聞いていたなら、安易に島を開発しようなどと思えないだろう。
昨晩の宴会の折、西側の移住してきた島民が紘夢くんを悪く言わなかったわけ。
それは彼が佐伯の人間として、島の人のために網元として威張り散らすのではなく、それこそ身を粉にして問題があれば相談に乗り解決し、東西関係なく寄り添っていたからこその結果だろう。
その証拠に西の住職さんも、東の村長さんも、目元を押さえて立派に座る紘夢くんを見守っていた。




