第二章『いつかこういうことが起こると思ってた』
東さんが産土神の隠れ社から救出されて数日。
彼女の身体は一日ごとに一歳年を取っていた。
実年齢に追い付くまで二十日ほどは本殿の離れにて竹婆と香本さんにお世話になることとなり、稀人を引退している宗祐さんは澄彦さんの母屋で寝泊まりをして足繁く東さんの元へと通っている。
南天さんはしばらくは父に譲ります、とは言っていたけれど一日に一回は顔を出しているようだ。
そして親として受け入れられないかもしれない、と自分で危惧していた豹馬くんも亜由美ちゃんに尻を叩かれる格好で南天さんと一緒にだけれど会いに行っていた。
東さんの最悪の状態は回避され、一安心である。
余談だが、宗祐さんと東さん夫婦は澄彦さんに対して恨み言は一切口にしなかったが、黙っていなかったのは松竹梅姉妹である。
不可抗力だったとはいえ自身が原因ときちんと自覚しているのか、から始まり延々と一日中三姉妹から責められていた。
さすがの澄彦さんも今回ばかりは重く受け止めており、出来うる限りの償いはすると約束していた。
そうして私は泣いてパンパンになっていた顔を多門に見られて、塩分制限をされた朝餉に不満を残しつつ、午前中の石段の掃き掃除に精を出していた。
秋が深まりつつあり、石段にも段々と落ち葉が積もるようになった。
まだ落ち葉の量は少ないので、腕に負担は無い。
玉彦は無理はしないように、と言って澄彦さんとお役目へ。
今日はそこそこ忙しいらしく、当主の間と惣領の間が開放されていた。
なので稀人は全員出番となり、私のお目付け役は黒駒である。
黒駒は常に私よりも数段下の石段に陣取り、転がり落ちてもオッケーだからと言うように尻尾を振っている。何とも頼もしい。
石段を掃いて下まで到着し、私は竹箒を石灯籠に立てかけて、腰を伸ばした。
「くあーーーーっ!」
奇妙な声を上げて気合を入れて身体を戻し、石段に腰を掛ける。
そして膝を叩けば黒駒が私の太腿の上に腹ばいで寝そべった。
最近私と黒駒は掃き掃除が終わったあとにこうするのがお約束で、懐から多門から借りた黒駒用のブラシを取り出す。
黒駒は一応澄彦さんの式神だけれど、普通にしていれば普通に犬だった。
普通に犬と言っても狼みたいに精悍な顔だし、大きいし、傍目から見れば私が襲われている様に見えなくもない。
ぼんやりと目の前に広がる禿げた畑を眺めつつ、私の手は黒駒の毛を梳く。
梳いても梳いても止めどなく黒駒の毛は抜け、いつか禿げることを心配したけど多門は遠慮なくやってくれと言うし、黒駒も嫌がる素振りは見せないのでまぁいっか。
そうして黒駒とのんびり過ごしていれば、毎回時折石段の前を通り過ぎる村民が足を止めて、石段前で手を合わせる。
私が初めてお祖父ちゃんに連れられて拝んだ時のように。
その度に私も頭を下げて、世間話をする。
この日も例外ではなく、しばらくすると畑で仕事をしていた門前さん夫婦が休憩がてら石段前にやって来た。
門前さん夫婦は昔から正武家の目の前にある畑で生計を立てており、名字を読んで分かる様に正武家の門の前の家だから門前さんというそうだ。というのを世間話で教えてもらった。
「比和子様ー。今日も日が良くてー」
ふっくらした還暦手前の奥さんが肩に掛けているタオルで額の汗を拭い、ニコニコと笑う。
奥さんは話し方が亜由美ちゃんとよく似ていてすごく親近感がある。
「お疲れ様なことでー」
そして旦那さんは奥さんに負けないほど大柄で、私のお祖父ちゃんのように無駄に声が大きい。
二人とも一応正武家屋敷のお隣さんというポジションなので村民の中ではよく顔を合わせる機会があった。
「いえいえー。いつもお仕事お疲れ様です」
「とんでもねぇ。こうして仕事が出来るのも正武家様のお陰でさぁ」
旦那さんは奥さんを見て笑い合う。
正武家のお陰と言っても彼らは特に何もしてくれない。
ただ五村に根を降ろし、村民の生活を見守っているだけである。
畑に雨を降らせたり、太陽を長く照らしておけるような力は無い。
曖昧に笑って、今日の畑仕事について拝聴していると、お祖父ちゃんの家の方向から白いタクシーがこちらへ走ってくるのが夫婦の後ろに見えた。
村外からの来客の場合は大体お祖父ちゃんの家の前を通って来ることが殆どだ。
今日はお役目が忙しいそうだから、来客の数もまた多い。
向かって来たタクシーは私たちの前で曲がり裏門へと続く山道へ行くのかと思いきや、石段前で停まってお客さんを降ろす。
あぁ、これは不味い。
ここで降りて石段を上がったところで表門からは入られないのだ。
裏門へは歩いても行けるけれど、車で行った方が安全だし疲れないし早い。
運転手さんもそれは知っているはずなのにな、と思いつつ私は膝の上の黒駒を降ろしてタクシーへ。
門前さん夫婦も同じことを考えていたようで、タクシーを見て首を傾げていた。