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私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~  作者: 清水 律
私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~
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6


「東さんっ……!」


 幣殿の中の姿を捉えた澄彦さんは腰を浮かせて声を上げたけれど、やはり彼女は反応しない。


「写真のままではないか……」


 感心する玉彦は振り返って凝視しているので、二人とも無事に視えるようになったようである。


「でもね、呼びかけても全く無反応なのよね」


「とりあえず中に入ろう。比和子ちゃんは東さんに触れてみて。もしかしたらそうすることで彼女はこちらを認識できるかもしれない」


 私一人では拝殿前でうろちょろして声を掛けるだけで精一杯だったけど、今日は二人が一緒なので堂々と幣殿に足を踏み入れることが出来る。

 しかも神大市比売かむおおいちひめから許可も貰っているので怒られることも無い。


 社の裏手へ三人で回り中へと入って幣殿へ向かう。

 幣殿の供物の前でしゃがんで背を向けている東さんの肩にとんっと手を置く。

 人間の身体の感触は、あった。


 恐る恐るこちらを振り返った東さんは私たちを見て声を無くす。

 私を見て、玉彦を見て、そして澄彦さんを見て初めて顔を歪めた。


「澄彦様……?」


「お待たせしました東さん。澄彦がお迎えに参りました。遅くなってすみません」


「いえっ……いいえ、いいえっ……! 必ず助けに来ていただけると……思っておりましたっ……」


 両手で顔を覆って東さんは感情を露わにし、澄彦さんは彼女の前に片膝を付いて抱き寄せた。


「本当に申し訳ない。こんなところに一人きりで。よくぞ耐えてくれました」


「……必ず来てくれると信じておりました。澄彦様……澄彦様……!」


 澄彦さんにしがみ付いて号泣する東さんを見て、私も泣いた。

 隠れ社では時間の流れが穏やかだとはいえ、一人きりでわけも分からず長い時を過ごすのは想像を絶する。

 脱出しようとして出来なくて諦めて絶望したであろう東さんの日々を思えば泣かないはずはない。

 と、思って隣を見れば玉彦は微笑んではいたものの泣いてはいなかった。

 泣きじゃくる東さんの背を摩り続けていた澄彦さんの目には涙が浮かんでいるというのに。

 ……人の感情の表し方はそれぞれだ。


 ひとしきり泣いて落ち着いた東さんは澄彦さんから身体を離して、照れくさそうに顔を伏せる。

 その角度から見た顔が南天さんにそっくりで、涙腺が緩み切っている私は泣く。

 もらい泣きを続ける私と気遣う玉彦に視線を向けた東さんは、怪訝そうに澄彦さんに尋ねた。


「こちらの方々は……」


「次代の玉彦と、嫁の比和子です。光一朗の娘、ですよ」


「たっ、玉彦様!? えっ……大きくなられて……えっ? 大きくなられて……。そう言えば澄彦様も……大きくなられて?」


「僕の場合は老けたと言うべきでしょうね。もう東さんの年齢を追い越してしまいましたよ」


「えっ……あの……? もしかして?」


 驚愕して瞳孔を揺らがせた東さんは全てを悟って、再び両手で顔を覆う。

 彼女の中では数か月だったとしても、外の世界では数十年が過ぎていたのだと知ったのだ。


 私たちは東さんに掛ける言葉も無い。

 何を言っても現実は変わらない。

 過ぎ去ってしまった時間は戻らないのだから。


「主人は……」


「生きてます。ぴんぴんしてますよ」


「南天は」


「嫁を迎えて息子も生まれましたよ。高校一年生です」


「豹馬はっ」


「豹馬も昨年嫁を迎えて元気ですよ」


「何年、私は一体何年行方不明だったのですかっ!?」


「……二十年、近くです」


「あっ……ああああっ……っ」


 泣き崩れた東さんに私は思わず駆け寄って抱きしめ、一緒に涙を流した。


 家族と離れていた、そして自分だけ取り残されていた二十数年。

 思うところは沢山あるだろう。

 でも今は、前を向いて欲しい。

 これからが東さんには待っている。





 それから。


 再び落ち着きを戻した東さんに、澄彦さんはこれからの事を告げ、選択を委ねた。

 現実へ戻れば何らかのリスクが身体に起こるかもしれないこと。

 そしてもし戻るのが怖いのなら、宗祐さんが隠れ社で一緒に過ごす覚悟でいること。

 それを聞いた東さんは、迷わずに現実へ帰還することを選んだ。

 宗祐さんに会いたいのは勿論のこと、たとえ現実世界に戻って身体が急激に衰え肉体が耐えられなかったとしても、一目息子たちに会いたいと。


 東さんの覚悟に頷いた澄彦さんは、懐から小太刀を取り出し、左手のひらに傷を作った。

 流れ落ちる血を手拭いに滲み込ませて、東さんの手首にしっかりと巻き付け結ぶ。

  こうすることできっと産土神の隠れ社から脱出できる。


 ちなみに東さんは隠れ社に迷い込み、目の前に神社があったので一先ず失礼が無いように手水場で手口を漱ぎ、エプロンにあった布で拭おうとして、澄彦さんの血が付いた布を洗ってから使用したそうだ。

 もし血液を洗い流していなかったら、と考えてしまう。


「さてさてー。あとはどこへ出口が繋がっているかだなー」


 東さんの手をしっかりと握った澄彦さんが鳥居をくぐり抜け、玉彦と私も後に続く。

 そして振り向けば。

 拝殿前のお賽銭箱の前にどかりと腰を下ろし、酒豪のTシャツを着た神様が札束と盃を掲げていた。


「きっと安全なところに出られるんじゃないですかね」


「そうだと良いんだけどね」


 僕はいっつもとんでもない所に放り出されたんだよ、と澄彦さんが憎々し気に呟くと、玉彦は普段の行いが悪いからだと呟き返した。

 そして東さんは相変わらず澄彦様は澄彦様なんですねぇと苦笑いをする。


 この苦笑いが隠れ社から出て、正武家屋敷の裏門前で満面の笑みに変わったのは数分後。

 裏門前で車をスタンバイさせて連絡が入るのを今か今かと待ち構えていた宗祐さんと息子たちを見てからだった。




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