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「それって、ゾンビ?」
「身体は腐っておらぬ。島の人々は死人をきょうしと呼んでいた」
「きょうし? 先生?」
「違う。人偏につくりは漢数字の三の間にそれぞれ田畑の田で僵、屍かんむりのみで尸、だ」
「ちょと待ってよ~」
私は文机に座ると、メモ帳に僵尸と書いてみた。
それを玉彦に見せると頷く。
「初めて聞いたわ」
「昔映画にもなったそうだ」
「聞いたことない」
「キョンシー」
「あっ。知ってる」
玉彦も映画を観るんだと当たり前のことに驚きつつ、思い出してみる。
道士って呼ばれてる人間が、御札を額に貼られた死人をピョンピョン飛び跳ねさせながら歩かせて数人の列を作り、移動する。
映画では御札が剥がれて一騒動起こるって言うのが定番だ。
確か遠くで亡くなった出稼ぎの人を棺で運ぶのは大変だから、自分で歩かせて故郷に送り届けるのが道士の仕事だったはず。
キョンシーの舞台になっている中国は広大な国なので、運ぶよりも歩かせた方が手間が掛からず良かったのだろうけれど、あくまでも、あくまでもフィクションだ。
そんな死人を動かせる技術があったなら、今でも絶対に残っているはずだ。
でもそう云った伝承が残されているということは、である。
不可思議な何かが関わっていて実際にあった出来事が元ネタになっているのだろう。
ある程度フィクションであっても僵尸について私に知識があると判断した玉彦は、そこのところを大幅に割愛して話を再開させた。
「女性が赤石村に流れ着いた数年前、哭之島にも流れ着いた者がいた。やはり恵比須とされて丁重に迎えられたそうだ」
「わかったっ! その人が僵尸だったんでしょう!」
「違う。その男は道士だったのだ」
あっさりと私の予想は玉彦に否定された。
文机にメモ紙を置いて、私は寝転がる玉彦の隣にうつ伏せで横になる。
両手で頬を支えて聞き入る体勢になると、玉彦は正武家の千夜一夜物語として私に語る。
哭之島に流れ着いた男の名は、無かった。
あったのだろうけれど彼が話す言葉は、島民の誰も理解できなかった。
なので彼は島の人に海福と名付けられて生活を共にしていた。
島は漁業を生業としており、月に何度か赤石村の漁師と交易があるくらいで、ほぼほぼ隔離された状態だったらしい。
哭之島の近くには他にも二つ島があり、そこにも人が住んでいて、玉彦が言うには五百人ほどの住人がいたそうだ。
海福は年の頃二十半ばで、よく働き、その内に言葉も学んで数年を島で過ごす。
そうしてとある日。
島でお世話になっていた人物が亡くなり、その人は島の権力者でもあった。
海福は彼に色々重宝されていたが、彼が亡くなったことにより島民の風当たりが何となく強くなったことを感じていた。
元々隔離された島である。
排他意識が働いたのかもしれないな、と私は思う。
恵比須として有り難られても、何も福をもたらさない海福はただの人間だという人も少なからずいて、後ろ盾が無くなった海福はちやほやされることもなくなり、ただの身寄りのない男として扱われるようになった。
そして海福は考えた。
亡くなった権力者をもう一度生き返らせればよいのではないか、と。
物言わぬ死者であっても島民は分かるまいと海福は権力者を僵尸として甦らせた。
道士としてしてはならない利己的な考えを持ってしまった海福が悪いのか、そういう考えを持たせてしまった島民が悪いのかは分からない。
海福が数年過ごした島で道士として腕を振るわなかったのは、きっと彼にまだ良心というものがあったからだろう。
そして道士としての倫理観も持ち合わせていた。
そんな彼を追い詰めてしまうほど酷い扱いをされていたのだろう。
ともかく海福は権力者を僵尸として甦らせ、自分の意のままに操った。
しかし海福の栄華は長くは続かなかった。
僵尸は本来、亡くなって故郷に帰り、そこで棺に納められ供養される。
けれど甦った権力者は何年も僵尸として動かされていた。
供養されずに動かされ続けた僵尸はどうなるのかというと、最初は死体として固まっていた身体が段々と解れて動きやすくなり、普通の人間の様に動けるようになる。
そして、凶暴性が増して扱いにくくなるのだそうだ。
権力者の僵尸も例に漏れず、日増しに凶暴性が増して海福の言うことを聞かなくなってしまい、悲劇が起こる。
島民が次々と襲われて、僵尸化していったのだ。
無事な島民は離れた島に避難したけれど、いつ襲われるかもわからない。
この時、どうして島がそんなことになってしまったのか知る者は海福しかおらず、彼はこともあろうか僵尸がうろつく島を出て、島民たちと何食わぬ顔で避難していたのだった。




