18
玉彦の詠は長く続き、徐々に私の身体を包んでいた炎が収まる。
熱くもなく、痛くもない。
優しい炎は私に降りかかった絡新婦の糸と、住職様の身体からのそりと這い出た黒い手のひらサイズの蜘蛛に襲い掛かってしゅううっと煙もなく消え失せた。
宣呪言を詠い終えた玉彦は最後に再び大きく柏手を打ち、私を力強く抱きしめた。
肩を震わせる彼の背中に手を回し、私も力を籠める。
「途方もない」
「玉彦?」
身体を僅かに離した玉彦は、私と額を合わせて、それからそっと最近大きくなったお腹を撫でた。
「子の守護神は火之炫毘古神のようだ……」
「えっ?」
「母体を護る為に姿を現したようである……」
玉彦はそれだけ言うと、私の肩に頭を預けて呼吸を整える。
正武家の人間には代々神様が守護に付いている。
当主の澄彦さんには志那都彦神という風の神様が、そして次代の玉彦には金山彦神という山の神様が。
普段は全く姿を現さない神様だけれど、ここぞという時や気紛れに姿を見せてくれることがある。
風の神様、山の神様、そしてお腹の子どもには火の神様。
「玉彦、大丈夫?」
絡新婦はただの駆除で、オスは炎に焼かれてしまったけれど、玉彦は神格を鎮めたことで予想外にお力を使ってしまい、今にも眠りに落ちそうになっていた。
午前中にお役目があったとはいえ、この消耗の仕方は普通ではない。
玉彦は歴代の正武家の中でもかなり優秀で、澄彦さんでさえお世辞無しに褒め称えるほどの力量の持ち主なのだ。
「玉彦? 玉彦!?」
「大事ない……」
「あるでしょうが!」
玉彦を抱き寄せて多門を呼べば、丁度お寺に到着した豹馬くんがこちらへ真っ直ぐに走って来た。
それから、である。
辛うじて正武家屋敷まで意識を保っていた玉彦は、母屋で寝かされるなり深い眠りに就いた。
周囲に心配させまいと気丈に振舞っていた玉彦だったけれど、澄彦さんが後の始末を引き受けたことをお布団で聞いて、ふっと意識を飛ばしてしまった。
私は蹴っても叩いても起きないであろう玉彦の身体を須藤くんと左右に転がしながら着物を脱がせて素っ裸にしてから、お湯で硬く絞ったタオルで拭く。
まるで亡くなった人のお世話をしているようで、意識せずに涙が落ちた。
ごしごしと顔を拭いているのに反応しない玉彦を見て鼻を啜ると、足を拭いていてくれた須藤くんが動きを止めて私を伺う。
「上守さん……。玉彦様はすぐにお目覚めになるから」
「すぐって、いつ。こんなことしばらく無かったのに」
須藤くんに八つ当たりの不安を言ってもどうしようもないことは解ってる。
だから私は黙々と玉彦を綺麗にし、絡新婦の体液を被ってパリパリに固まってしまっている玉彦の髪を湯桶に浸して丁寧に洗う。
すっかり身綺麗になった玉彦に寝間着を着せて二人で何も言わずにいると、後始末が終わったらしい澄彦さんが南天さんを連れて顔を出した。
ちらりと寝込む息子を見た澄彦さんは肩を竦めて、お布団を挟んで私の正面に腰を下ろした。
「心配ないよ。すぐに起きる」
「すぐっていつですか」
須藤くんにした同じ質問を繰り返せば、澄彦さんは翌朝、と断言した。
どうして断言できるのかと食い下がると、何となく、と澄彦さんは曖昧に答えたけれど、当主がそういうならそうなるのだろうと何となく思う。
「それで、お腹の子の守護神は火之炫毘古神だって?」
興味津々に私のお腹に視線を移した澄彦さんは、片手で顎を摩ってニヤリと笑う。
「玉彦がそう言っていました……」
「随分とメジャーな神が来たもんだなぁ。なぁ、南天」
「左様ですね」
「メジャーな神様?」
私が眉を顰めると、澄彦さんは微笑む。
「火之炫毘古神、別名火之迦具土神。伊邪那岐と伊邪那美が最後に産み落とした神だよ。字の如く、火の神だ」
聞いたことがある。
確か伊邪那美はその時の火傷が原因で死んでしまったのだ。
これから子どもたちを産む予定の私には不吉極まりない。




