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「うわっ!」
驚き後ろに仰け反った私の背中を玉彦が支えて、背後で笑っている気配がする。
澄彦さんは腕組みをして件を見下ろしてニヤニヤしていた。
「い、生きてる!」
指を指して振り返れば、玉彦は唇を歪めて顔を背けた。
生きていると知っていて、私が驚くだろうと解っていてこの二人は何も言わなかったのか。
「一度は死んだんだよ。この件は。でもね、僕がまだここを訪れていた時にね、ちょっと実験台になってもらったんだ」
「実験台!?」
「うん。式神ってどうやったら生み出せるかなって。動物の死骸なんて早々無いし、耐久力ないし、だったらあやかしの件だったらそこそこ実験に耐えられるんじゃないかって思ったの。そうしたらね、何回目かで成功したんだよ。僕って天才!」
胸を張って自画自賛する澄彦さんに半目になった玉彦は私の肩を抱いたまま、箱を手繰り寄せた。
「式神となった件は以前のように予言はしない。しかしたまに社を出歩いている。俺も最初に見た時には驚いた。今の比和子のようにな」
玉彦が次代になったのは祖父の道彦が亡くなった小学二年生。
その時から隠れ社のお掃除を担ったんだろうけれど、今でこそ太々しい玉彦も小学二年生だとまだまだ初々しく奇妙な仔牛の姿の件が歩き回っているのを見て腰を抜かしただろう。
そして澄彦さんは知っていて黙っていた、と。
件はこちらをぼんやりと見ていて、そのまま瞼を閉じて眠ってしまうかのように見えた。
しかし瞼を閉じた代わりに人間のような唇がゆっくりと開く。
「汝……」
「はっ!?」
甲高い声に思わず辺りを見渡したけれど、どう考えたってこの声は件の声だった。
玉彦も澄彦さんもまさかと凝視している。
「……五村の意志と対峙し……する。よって件の如し」
「ちょ、ちょっと、一番大事なとこが聞こえなかったんですけど!?」
箱を揺すっても眠りに就いた件はもう瞼を開けず、残された私たち三人に沈黙が流れる。
「式神なのに予言ってするんですか……?」
「五村の意志と対峙だと……?」
「いやはや……。面白いことになってきたぞー」
ある意味全ての元凶である澄彦さんはニヤリと笑って不敵に件を見下ろした。
件が眠る木箱を元の場所へと戻し、私たちは神社の拝殿の階段に腰掛けている。
時折中を覗いて幣殿を確認してみるけれど、東さんはまだ姿を現さなかった。
「それにしてもどうやって式神にしたんですか? だって澄彦さんが触れたら件って消えてしまうんですよね?」
「え? 割り箸使ってだよ? 式神になってしまえばもう触れるけど」
「え、だってさっき玉彦、二人は触れないって。言ってたわよね?」
隣の階段に腰掛ける玉彦を見れば、まっすぐ前を向いてこちらを見ようともしない。
どうやら触れられるのは知っていて、私を驚かせようとしたらしい。
「でもどうして件を式神に」
「普通式神ってさ、形代の紙に宿すんだけど、考えてみてよ。紙を何かに変化させて形を維持させて、動かさなきゃいけない。それってすごく力を消耗するんだよね。だったら元々形ある物を式神として使役した方が効率が良いわけ。形を維持させる必要もないし、普段出しっぱなしにしていられて、その間は意思を持たせて自由行動させてるから消耗も少ない」
澄彦さんはしれっと言うけど、それってかなり陰陽道としては邪道なんじゃないかと思う。
だって死ぬ寸前だった狗の黒駒はともかく、件は既に死んでいた訳で。
死んだ生き物を再び動かすことは自然の倫理に反する。禁忌と言っても良い。
私がそう言うと澄彦さんはあやかしだから人間の倫理なんて関係ないよ、と軽く答えた。
「でも死者蘇生なんて」
「さすがに人間には施さないよ。だって面倒じゃないか。死んだ人間が生き返ったって騒がれたり、死んでも式神として生き返ることが出来るなんてわかったら、命を粗末にするだろう? まぁそもそも人間のように複雑な器は式神には適さない。器が脆過ぎる」
多門の手によって犬から狗へと変わった黒駒、あやかしの件は器としての耐久度が良かったのか。
確かに普通の人間にお力を注げば耐えきれないかもしれない。
澄彦さんはこうして正武家のお力の他にも自己流で何かの力へと変換させて活用しているけれど、そう言えば玉彦はどうなんだろうとふと思う。
澄彦さんや竹婆は玉彦のことを正統派というくらいだから他の道は模索していないのかもしれない。
でも以前有路市で海外からの禍に対して何か思うところがあったようだったので、案外エクソシストとして目覚めてもおかしくはないけれど、玉彦はそもそも神様自体を信心している様子はないので可能性は薄いかも。
そんなことを考えていたら背後でかたりと音がして、振り返れば東さんが前と同じように供物のお膳を手に登場した。
玉彦と澄彦さんは音は聞こえていたようで振り返っていたけれど、彼女の姿はやはり見えていないようだ。
そして東さんも私たちの姿も声も聞こえていない。
まずは二人に東さんを視認してもらってから対策を考えなくてはならないので、私は両脇に座っていた二人の手をそっと握る。
こうすればたぶん、視えるようになるはずだ。