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「まったくもう。言い方っていうものがあるでしょうよ……」
帰りの車内で私がそう言えば、玉彦は腕組みをしたまま憮然と目を閉じてしまう。
「そんなに反対するってことは御坊様に何か良くないことがあるの? 蘇芳さんのところで何かあったの?」
玉彦がこんなにも頑なに反対するってことは常識以外の何かの理由があるんじゃないだろうか。
例えばお役目関係で、御坊様は憑かれやすい体質だって言っていた気がするし、そういう不都合なこと。
陽子さんたちには言えない理由があるんじゃないだろうか。
黙り込む玉彦に責め立てるような言葉で迫っても増々押し黙るので、私は最大限に優しく聞いてみた。
「次代ーぃ」
ハンドルを握る多門の後押しもあり、玉彦は鈴白村に入ってからようやく目を開けた。
「優心は女だ」
「……」
「優心は女性で、尼僧だ」
「……苦し紛れにそんなこと言って」
「いや、比和子ちゃん。マジで優心は女だから。優しい心って書いてゆうこって読むんだよ」
「多門まで……。……え。やだ。ほんと!?」
玉彦の袖を引けば二度頷く。
女の人、だったのか……。
でも何だか話がおかしい。
蘇芳さんのお寺は男性しか居なかった気がする。
それに今まで玉彦たちが御坊様を女性だと言わなかった理由は。
しかも流石に女性だとすれば流子ちゃんだって気が付くと思う。
だって……。
「尼僧って頭に白い何かを被ってるでしょ?」
「尼僧頭巾という。優心は被ってはいなかった」
「どうしてよ」
「作務衣か何かだったのだろう」
「それにしたって胸の膨らみとか」
「あー優心はたぶんサラシ巻いてるんじゃないかなぁ。下着を買いに行く時間が無かっただろうし。慣れてるから」
「慣れてる?」
「蘇芳の寺で男として働いてたんだよ。色々あって」
「色々って……」
事実を知った私が呆然としていると、車は正武家屋敷ではなく、鈴白村の外れにある鈴白寺の駐車場に到着した。
「会えば分かるよ。良いよね、次代。比和子ちゃんには後でオレから説明するから」
そう言って多門は運転席から降りると後部座席のドアを開ける。
玉彦は一度私の手を握ってから降りて行く。
五村には村の名が付く五つの神社がある様に、お寺も五つある。
各村のお寺の宗派はそれぞれで、特にどこの宗派が良いとかはない。
なぜなら五村はお寺よりも神社勢力が強く、神社は正武家の傘下にあり、村民は神道や宗派ではなく『正武家教』に近いから。
そんな五村の鈴白村にある鈴白寺は、いたって普通のどこにでもありそうな古寺で、くすんだ塀に囲まれた敷地内に入ると正面にお堂の建物、右手には立派な鐘があり、生活空間の建屋は奥にある様だ。
私はこれまでこのお寺に訪れる機会がなく、ここの住職様とは祝言の席で顔を合わせたきりだった。
剃髪されてるはずの頭には疎らに短い白髪があって、ご高齢だから剃髪を必要としておらず、小柄の柔和な住職様。
話し方はとてもゆったりで、祝言の席にて玉彦と私は夫婦とは互いに支え合って生きていくもので思い合う気持ちが大切ですよ、と有り難いお言葉をいただいていた。
人気のないお寺に遠慮なく足を踏み入れた多門は正面のお堂に通じる広い間口の玄関の扉を横に引く。
すると玄関の上がりの向こうに本堂があり、奥には仏像が鎮座していた。
ふわりとお線香の香りが漂う。
もう夕方なこともあって、住職様たちは居住している母屋へ下がっているようでここも人気が無い。
でもお寺の玄関が施錠されていないのは、田舎あるあるだ。
「ごめんくださーい!」
大声を上げながら玄関の脇に下げられていた大きな鈴を多門が鳴らすと、数分してから足音もさせずに作務衣姿の住職様が姿を現し、玉彦を見止めて板の間に正座して出迎えてくれた。
「次代様。おばんでございます」
小さな目を細めただけで笑った住職様に玉彦は頷いて、多門を見る。
「優心はどこに?」
玉彦の意思を汲んで尋ねた多門に向き直って住職様は答えた。
「優心は今、眠っております」
まだ夕方である。
正武家屋敷ではあと一時間ほどで夕餉が始まる時間で、たぶん一般家庭も夕食の時間だというのに。
蘇芳さんのお寺では食事の時間が早く、就寝時間も早かったけれど、ここは修行寺ではない。
生活サイクルは普通の家庭と同じくらいだと思っていた。
現に住職様は寝間着ではなく作務衣で、声を掛ければすぐに姿を現した。
「起こしましょうか?」
そう言った住職様の申し出に玉彦は片手を上げて制し、出直す、とだけ言って身を翻した。
住職様に頭を下げてすぐに玉彦の後を追った私は、庭の片隅にある老木の下に夕陽を反射させて金糸に見える蜘蛛の巣を見て、どことなく不安を覚えた。