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絡新婦。女郎蜘蛛。
黒と黄色のコントラストが毒々しい大きな蜘蛛。
秋になると卵を抱える。
私が知っている絡新婦の知識はこれくらい。
私が生まれ育った通山市ではあまり見かける機会が無かった蜘蛛である。
街中にあった私の家では蜘蛛よりもゴキブリがメジャーだった。それでもあまり見かけなかったけど。
けれどこの五村は周囲が山で自然が溢れているので、家の中に虫が入り込むことは良くあった。
特にお祖父ちゃんの家に泊まろうものなら、蜘蛛は出るわ、ムカデは出るわ、どこから入り込んでくるのか蜻蛉のヤゴまでお邪魔してまーすと現れる。
中でも私を一番ビビらせたのは蝉である。五村の蝉は無駄に巨大なのである。
そんな蝉が何を間違えたのか夜に開けっ放しの縁側から茶の間に突撃してきて、鳴きながら狂ったように飛び回る。
短い命なんだからここで暴れてないで外で鳴けと思う。
ちなみに正武家屋敷には虫は殆ど出ない。
理由は昔々、その時代の正武家の当主が虫の主と何かの契約を交わしたからだと玉彦は言うけれど、そんなことで出なくなるのかと疑問である。
私が思うに正武家屋敷一帯は虫たちですら近寄りたくない何かがあるんじゃないかと思っている。
そんな正武家屋敷だけれど、たまにゴキブリの残骸を稀人が片付けている場面に遭遇することがあり、彼らが始末したのかと思いきや、お屋敷を根城にしている『軍曹一家』の活躍のお陰らしい。
この軍曹一家。正体はアシダカグモと言って、巣を張らないタイプの結構大き目なでっぷりとした蜘蛛で、屋敷内で見かけても追い出したり殺したりしてはいけないと私は玉彦に教えられていた。
ゴキブリなどを捕らえる益虫だそうで、人間に害はない。と玉彦は言うけど、時たま部屋の片隅にばばーんと登場されると私はそっと部屋を出て行く。だって怖い。
そんな感じで五村にはあらゆる虫が生息していて、絡新婦は結構どこでも見かける蜘蛛である。
見かけたからといってすぐに殺してしまうことは無いけれど、家の庭に居ればお祖父ちゃんも巣を壊して蜘蛛を追い払ったりする。
箒やその辺にある枯れ枝で巣を壊すのを見たことはある。
鈴白村育ちのお祖父ちゃんですら素手で触ったりはしない。
ましてや蜘蛛を素手で掬い上げて巣に戻してあげるとか有り得ない。
流子ちゃんの周りの男性はお父さんを始めとして山の男なので、お仕事の際には蜘蛛も良く見かけてぞんざいに追い払ったりするタイプだろう。
そんな邪魔者扱いされる蜘蛛を追い払ったり殺しもせずに優しく扱う御坊様に流子ちゃんはときめいた……。
何となく。
このどこかずれている感覚。
やっぱり玉彦と血縁関係があるのは間違いない。
「僧は殺生を禁じられている故、当然の行いであろう。お前は僧侶であれば誰でも良いのではないか」
「玉彦っ」
余計な一言をつけ加えて流子ちゃんに呆れて言った玉彦の肩を叩く。
あんたが話すと拗れるのよ。
「僧侶でも生臭坊主とかいるでしょ。あの御坊様をそんな生臭坊主と一緒にしないでくれる?」
玉彦を一睨みした流子ちゃんは両手で頬杖をついてぼんやりと上を見上げる。
「外の男の人って、ここのがさつな連中と違って繊細で優雅な感じ」
これは恋。まさしく恋。
「多門も外から来た男ぞ?」
「オレに話を振るんじゃねぇ!」
「多門様も悪くはないけど、仕事がねぇ……。正武家様の稀人様だもの。当主様の稀人様だったらともかく」
流子ちゃんはとことん玉彦に関わる人間は眼中に入れたくない様である。
「ともかく優心に邪な想いは寄せぬように」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないわけ!? 邪な想いとかすっごいムカつくんだけど!」
「女犯の戒律があるのを知らない訳ではないだろう。優心を堕落させるつもりか」
「余計なお世話って言葉知ってる? 関係ない奴は引っ込んでて」
「関係はある。優心を鈴白寺へ預けたのは私である。貴様の様なふしだらな女が居るのなら早々に他所へと移す!」
「ふしだらって……! あんたの言葉の選び方、いちいちムカつくのよ!」
どんっとテーブルを叩いた流子ちゃんと玉彦が睨み合い、私たちはまた始まったと肩を竦めるしかない。
今回は玉彦が悪いと私は思う。
玉彦と流子ちゃんの応戦はそれからしばらく続き、陽が落ち始めて来て帰宅したお父さんたちが顔を出すとようやく収まった。
どうやら流子ちゃんはお父さんに御坊様の事を知られたくない様子で、私たち三人は早々に彼女に家から追い出されてしまった。




