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神社を正面に右手に絵馬掛けがあるけど、そこに絵馬は無い。
そしてお神籤を結ぶ紐も吊るされているけれど、やはりお御籤は無い。
だって社務所が無いから絵馬は受け取れないし、お賽銭箱の近くにお御籤箱がないから。
何の為に設けられているのか疑問である。
玉彦がそちらの方に箒を進めたので私も移動してしげしげと見て、やっぱり何も無いことを確認してから目を下に落とすと、綺麗に敷かれている白い玉砂利に不可思議な足跡を発見した。
人間の大きさの窪んだ足跡ではない。
「んんん~?」
見やすいようにしゃがんで足跡を見れば、ちょうど人差し指と親指で作る輪程の丸い足跡で、視線で足跡を辿ればそこそこな歩幅で歩いているのが分かる。
隠れ社に存在するのは神様か正武家の人間で、動物がいるとは聞いていない。
もしかしたら他の村の産土神に動物の姿をした神様が居るのかな。
私が良く知る御倉神はお屋敷の中では普通に歩いているけれど、以前、高校生の時に朝餉で小百合さんと一悶着があって外に出た御倉神は浮かんで滑るようにして移動していた。
人間の姿をした神様は浮かべるけれど動物の姿の神様は浮かべないのか、気紛れに歩いて足跡を残したのか。
「どうした。具合でも悪いのか?」
「ううん。足跡があるのよ。神様の足跡かな」
私がしゃがんだまま指差すと、玉彦も箒を手に片膝をついた。
指先で丸い足跡をたどり、そのまま考え込み、そして、あぁそうか、と言って一人で納得している。
「やっぱり神様?」
「いや、これは……。清掃が終われば面白いものを見せてやろう。そう言えば約束をしていたな」
「え? 約束?」
さっさと立ち上がった玉彦は私を放って掃き掃除に戻り、私はそのまま足跡を眺める。
玉彦は良くも悪くも約束を守る男なので、どういう約束を誰としたのか解らないけれど私に何か見せてくれるようである。
そうして拝殿と幣殿の掃除を終えた澄彦さんが私と同じようにしゃがみ込んで足跡を見ていると、ようやく掃き掃除を終えた玉彦が合流した。
「ついて来い」
と、玉彦が言うので、澄彦さんと私は神社の脇を抜けて本殿の隣にひっそりと佇む小さな蔵へと足を踏み入れた。
正武家屋敷の母屋にある二階建ての石蔵とは違い、中の広さは六畳にも満たないほどの本当に小さな蔵である。
明りが無くても扉を開けていれば中を見るには十分で、玉彦は蔵の奥にあった木箱を手に振り返った。
大きさは五キロのお米の袋くらい。
簡素な木箱は蝶番で蓋が繋がったものではなく、玉手箱のように蓋は持ち上げられる。
蔵の外に出た玉彦に続いて出れば、木箱は玉砂利の上に置かれて、玉彦は私を見る。
「見たいと言っていたであろう」
「へっ?」
蓋の上に両手を添えた玉彦はゆっくりと持ち上げる。
「よもや比和子が隠れ社に入れるとは思っていなかった故、あのような約束をしてしまったが、約束は約束である」
「何か約束してたっけ?」
「……素知らぬ振りをしておけば良かったか。いやしかし、後から知れば必ず俺を詰る……」
ぶつぶつ独り言を恨めしそうに言って玉彦が蓋を開けると、中には紫色の風呂敷に包まれた何かがあり、私に捲ってみろと言う。
自分や澄彦さんは触れることは出来ない、と。
「えええっ……。何よ、何なのよ。とんでもないものだったら恨むわよ」
「自分で見たいと言っていただろう」
「あんたって昔っから言葉足らずが過ぎるのよね」
丁寧に風呂敷を指先でつまみ、はらりと捲る。
けれどまだ包まれていたのでもう一枚を捲って、私は息を飲んだ。
中に在ったのは、件だった。
もう何十年も経っているはずなのに、瑞々しい仔牛の四肢を折り畳んだ遺骸。
ただし頭は異様に大きく、須藤くんのお父さんの爽太さんが言っていたように頭部の大部分は単眼を覆う瞼。
「……確かに見たいって私、言ったけど……」
それなりの前置きって必要だと思うわけよ。
しかも妊婦にこんな刺激の強いものを見せるなら、なおさら必要だと思うわけよ。
そんなことを心の中で突っ込みつつ、私はちゃっかりと件を観察する。
そっと触れれば毛並みは若干硬く、こんなものかと思う。
なにせ牛に触れたことがないので、これが普通なのかもわからない。
ちょっと強引だけど、瞼を開けて単眼の瞳を見たらもう風呂敷を元に戻そう。
澄彦さんも玉彦も止めないし、もう死んでいるから弄繰り回しても大丈夫なんだろう。
と、思った私が甘かった。
伸ばした指先が触れる前に、件の瞼がゆっくりと開かれ、私は心臓が飛び跳ねた。