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流子ちゃんがなぜあんなにも玉彦のことを嫌い、そして玉彦も彼女を嫌っているのかというと、全てはやっぱり玉彦の所為であった。
陽子さんと共に訪れた流子ちゃんは祝言の時とは打って変わって、私に深々と頭を下げて、本当にごめんなさいと涙ながらに謝ってくれたので私は二つ返事で許した。
だって玉彦から流子ちゃんに関する話を聞いて、第三者からすればそれは流子ちゃんに嫌われても仕方がないと思ったからだ。
当の玉彦は自分の何が悪かったのかすら解っておらず、私は懇々と説明をしてもし自分が流子ちゃんと逆の立場だったらどう思うのかと諭せば、そこでようやく目を見開いて衝撃を受けていた。
今まで玉彦にそういう風に誰も教えなかったことに私は逆に衝撃を受けていたけども。
二人の因縁が生れたのは玉彦五歳、流子ちゃん三歳。
三つ子の魂百まで、という訳でこの時から流子ちゃんは玉彦に対して良い感情は持たなくなった。
当時玉彦は母親である月子さんがお屋敷を去り、澄彦さんに連れられて訪れた緑林村の祖父母の家で母親そっくりな陽子さんに出会って寂しさも相まってずーっとくっついていたそうで、でも陽子さんには一人娘の流子ちゃんがいて、幼子二人が陽子さんを廻って仁義無き戦いを繰り広げた。
といっても五歳児と三歳児。勝敗は明らか。
しかも祖父母を始め父親や母親ですら玉彦に同情的で優しく、流子ちゃんはいつでもお母さんと一緒に居られるんだからと玉彦と陽子さんの邪魔はしないようにと言い聞かされて育った。
それは玉彦が小学三年生程まで続き、流子ちゃんの中では玉彦憎しの感情がすくすくと育った。
思春期を迎えた小学高学年からの玉彦は、それでも年に数回は緑林村を訪れて陽子さんと共に過ごしていた。
その時にはいつも決まって年が近い流子ちゃんは何かと玉彦と比較されて、嫌な思いをしたそうだ。
しかも玉彦は私と出会った時のように不遜な態度を流子ちゃんにもかましていたそうで、増々二人の関係は悪化。
けれどここで黙っている流子ちゃんではなかった。
いくら関係が悪いと言っても喧嘩になれば手は出なく、口喧嘩である。
この時期の女子に口喧嘩で勝てる男子は早々いない。しかもちやほやされっ放しの玉彦である。
流子ちゃんの口撃と、正武家のお役目、そして学業に忙しくなった玉彦は次第に緑林村から足が遠ざかり、それでも陽子さんの誕生日には必ずお祝いに来ていた。
そうして月日は流れ、中学生までは別の学校だったけれど高校は五村の子供たちが合流する。
たった一年だけ二人は同じ学び舎で過ごしたけれど、顔を直に合わせることは一度も無かったそうだ。
流子ちゃんは玉彦に負けずに勉強も頑張っていたけれど、進学特化に進学すれば縦の繋がりが強いクラスなのでどうしても玉彦と接触する機会が出来てしまうと考え、あえて普通科に進学。
そこで噂の惚稀人である私を見て、胸を撫で下ろしたそうだ。
従兄妹とはいえ緑林村の正武家の花嫁候補であると云われており、一年前にお役御免になったとはいえ不仲だとお鉢が回って来るかもしれないと不安で一杯だったらしい。
そんな二人の関係は月日が流れようともお互いに抱いている感情は変わることなく続き、あの祝言の席である。
流子ちゃんから理由を聞けば聞く程、玉彦から聞かされていたことよりも彼女は如何に苦しんだのかが解り、私は同情すら覚えたのだった。
流子ちゃん曰く、玉彦に関わる人間はみんな玉彦の味方で、自分が何か言えば我儘だとか間違っている、意地悪だと言われ、お母さんと一緒に居たい、奪われてしまうんじゃないかと恐怖すらあった幼い流子ちゃんは玉彦に負けるものかと口を磨いて頑張ったそうである。
以来、玉彦と流子ちゃんの関係は何も変わらないものの、私と流子ちゃん、冴島一家との関係は良好である。
二人とも今さら仲直りをするつもりもないようだけれど玉彦はそれから少しだけ態度を改めて、緑林村へ遊びに行った際に流子ちゃんにチクリと何かを言われても反論せずに薄く笑って流す様になった。
玉彦的には微笑んでいるつもりだそうだが、傍から見れば嘲笑してる風にも見えなくもない。
まだまだ改善の余地はありそうである。
そんなこんなで。
身籠っているのが双子だと判明してから竹婆の助言もあって、私は双子姉妹を産んだ玉彦の祖母である秀子さんとマメにメールのやり取りをしていた。
秀子さんの場合はもうこの時期からもうお腹は結構大きくなっていたとかそんな感じ。
身近な先輩ママである夏子さんはまだ大きくなっておらず、むしろ臨月になってもあまり大きくならなかったけど生まれた希来里ちゃんは標準体重だったので、女性の骨盤の深さが関係あるのかもね、と言っていた。
本当は私のお母さんが居てくれれば色々ともっと気軽に聞いてみたいこともあったけど……。
玉彦を本日のお役目に送り出してしんみりと部屋で一人そう思っていると、秀子さんからメールが届いた。
おはようございますの挨拶から始まって、体調に変わりはないですかと優しい内容だ。
秀子さんは当時妊娠していた月子さんがお屋敷でどう過ごしていたのか知っている人なので、暇つぶしになればとメル友になってくれている。
月子さんの時には携帯電話やメールはそうそう気軽に出来るものじゃなくて、お屋敷の電話で長話をするのも何だし、結構気を遣ったそうだ。
数回やり取りをしていると、そう云えば、と秀子さんからのメールが少し途絶えて、それから電話が掛かって来た。
どうやら文字を打つのが面倒だった様である。




