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私の耳元で押し殺された声に冷や汗が流れた。
ここに居る資格はない。
待ってた。この言葉を待ってた。
兄からではなく、親から言われるのを。
そうしたら私は再びあの家に帰って、何事も無く冬休みの続きがあって、お父さんたちがいて、何日かしたら学校へ行って、いつもの生活に戻られるから。
でも、現実は違うとどこかでわかってた。
お父さんたちともう二度とあの日々を過ごすことは出来ない。
ここを出て行くことになっても、お父さんたちは私と一緒には来てくれないって、ここへ来るまでの間に感じた。
お父さんたちの帰るべき場所はこの村で、このお屋敷だって。
会いたい人たち、一緒に居たい人たちが沢山いるここをもうお父さんたちが離れることはないって思った。
都合の良い話だけど、私が今ここを追い出されたら行く場所はない。
もしかしたらお父さんたちの内の誰かが一緒に来てくれるかもだけど、三人の気持ちを考えたらこれ以上私のせいで三人に苦労を強いるのは申し訳ないとさえ思う。
ただでさえ八年間も迷惑を掛けていたのだ。
ようやく現実的に自分の立ち位置を思い知らされ、私は襖の前で踏ん張った。
兄が出て行けと、居る資格はないって言っても、決定権はコイツにはないはずだ。
助けを求めるために振り向けば、父親は祖父と向き合い言葉を交わしていて私に半分背を向けていた。
こんな状況なのに父親も祖父も止めもしないの!?
「パパっ!」
助けてと手を伸ばせば腰を浮かせていたパパと父が動き出そうとし、お父さんは父親の名を呼ぶ。
けれど三人の行動は兄の言葉で止められてしまった。
「稀人と雖も手出し無用! 貴様らが介入することではない!」
お父さんは兄を凝視し、パパと父は力が抜けてその場にすとんと座り直した。
どんな時でも私の味方だった三人は兄のたった一声で私の味方ではなくなった。
こんなことって、こんなことって……!
茫然とした私を兄は引っ張り続け、部屋の外に出される。
それでも兄の断固たる歩みは止まらず、私は精一杯踏ん張ったけど磨かれた床の上を滑って引き摺られる。
手を叩いても、足で蹴っても意に介さず、長い廊下を通って私は来た時とは違う玄関に連れて来られた。
途中一旦外の廊下に出て、さっきの離れっていうところとは違う雰囲気の建物の中を通って。
靴も履かずに玄関に降りた兄に掴まれたまま私は玄関から外に出て、雪塗れになりながら大きな門の前に立った。
寒さに慣れているとはいえ、ハイソックスのままで雪の中を歩いたことなんてない。
村の入り口では深々と降っていた雪が今は猛吹雪に変わっていて、私は吹き荒れる風と寒さの中でこれは現実じゃないかもしれないと意識を逃避させ始めていた。
これは夢の中で、私はお布団の中に居て、お母さんが掃除で窓を開けたからこんな夢を見ちゃってるんじゃないかって。
でもドンッと背中を押されて門の外側に押された私は、雪の上に膝から倒れてその冷たさをスカートの中に感じて、現実だと引き戻された。
私と同じ寒さの中にいるはずの兄はまるでそんなの感じないように私を冷ややかに見下ろした。
「そこを下れば村へと出る。どこへなりとも行くがいい」
背を向けて門の内側へと戻った兄は無表情のまま重たそうな扉を閉めた。
なにが、起こってんの……?
私、今、なにしてんの……?
一目惚れした青いワンピースはやっぱりお母さんが言ってたように、寒い。
雪の上に埋もれながら座り込み、門とは反対側を見れば下に続く坂がある。
もしかしなくてもここはさっき手を合わせた場所の上なんだろう。
これから、どうする?
どうしたらいい?
門は私でも開けられる? 鍵とかはない?
お屋敷の中に戻ってもまた兄に追い出されるんじゃないのかな。
かと言ってこのまま下に降りても凍死する運命しかないと思う。
選択肢はまず中へ戻ること。
それから、それから、さっきのことを謝る?
でも誰に?
言い過ぎたかもだけど、あれは私の本心だった。
実は嘘でした、帰って来させてくれてありがとう、なんて私には思えない。
けど凍死しないためには嘘でも言わなきゃならないんだろうか。
段々と意識が朦朧としてくる中。
門をぼんやりと見ていると、ゆっくりと扉が開かれた。
そこに立っていたのは白い着物の父親で、雪と同化しそうなくらい儚げなのに存在感を放っていた。




