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パパは身体を起こすと私に手を伸ばして父が纏めてくれた髪をそっと解いた。
「心臓に悪いよ……」
「須藤くん!」
「それは、もういいから」
「須藤くん」
「はいはい」
上着の前を開けて私をパパはぎゅうっと抱きしめたまま一緒に車に歩き出す。
私としては全然物足りなかったけどパパが小野千代にはっきりとさよならして、本当は全然違うけど好きな人がいるって奥さんとヨリを戻すんだって小野千代に匂わせてダメージを与えたことは大成功だ。
くふふとパパのお腹に額を当ててほくそ笑んでいると、棒立ちになっていた小野千代がパンッと赤い傘を開いてこちらに背中を向けた。
「子どもを捨てた女性のどこが良いんですかね。何年も放って置いて。どうせ女一人の生活が苦しくなって言い寄って来たんじゃないですかっ」
最後の最後に本性を現した小野千代にパパは顔を顰めた。
「彼女はそういう方ではありません。人一倍家族というものを大事にしている方ですから」
「でも子どもをっ。私だったらっ」
と、言い掛けた小野千代の赤い傘にばさっと氷の塊のような雪玉が一つ当たる。
飛んできた方を見れば玄関前でお母さんが鬼の形相で立っていた。
お母さん、雪玉に氷を入れちゃいかんのよって前に言ってたじゃん……。
持っていた荷物をお父さんに押し付けたお母さんは私のようにずんずんと歩いて、背中を向けていた小野千代の正面にわざわざ回る。
「あんたねぇ、いい加減しつこいんよ! 洸姫がお世話になった先生だから黙っといたけど、毎回コーヒー一杯とおかわり無料で一日居座るって商売上がったりだったんよ! そっちの方こそ生活が苦しくて須藤くんに言い寄ってたんじゃないん!? それにそれにっ! 洸姫は捨てられたんじゃなくって、私たちに託された大事な子なんよ! 知りもしないで先生っていう人が子どもの心を傷付けること言わんでくれます!? それとうちの旦那にも色目使ってたのも全部全部バレてますからね! 男漁りは他所でやってください!」
普段怒らないお母さんは顔を真っ赤にして肩で息をして、頭から湯気が出そうな勢いのまま私とパパのところへ来ると、泣きそうな顔になって私の頬に手を添えた。
「あんな人の言ったことは全部嘘よ。洸姫は捨てられたんじゃなくって、どうかどうかって泣く泣く託されたんよ。洸姫の母様はお母さんの親友で、すんごくカッコいい人なん」
「うん……」
本当の母親がどんな人かは置いておいて、私は小野千代がお父さんにまで言い寄っていたことに衝撃を覚えていた。
パパと父は何となく独身って分かるけど、お父さんは名字が同じお母さんと美影がいるし。
お母さんも色々と小野千代に鬱憤が溜まっていたんだと私は初めてわかった。
だっていつもは温和でほとんど怒らないお母さんがこんなになるなんて相当なもの。
目を丸くしていた美影を連れたお父さんが興奮冷めやらずのお母さんと私の背中を車の方へと押し、パパにも車に行くようにと告げ、ばつが悪そうにそそくさと立ち去ろうとしていた小野千代に声をかけた。
「足元、雪が深いのでお気をつけて。それと母方の墓参りした方が良いですよ。男運改善したいなら」
いきなり何を言い出すのと思っていたら、小野千代は一度振り返って顔を歪ませ、何も言わずに去って行った。




