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お父さんの話によればどこかに一泊してから本当の両親が住むところに行くと言っていたので、私はとりあえず二泊程の荷物を作り、リビングへと戻った。
パパと父は既に外に出て車の準備をしていて、お母さんがキッチンで去年買ったスマホと連動している巨大な冷蔵庫に抱き付いていた。
「お母さん?」
近寄ってブラウスの背中を引っ張るとお母さんはハッとして私を振り返った。
「なにしてんの」
「だって、だってこの子、置いていかんといけんのよー」
「持っていけばいいじゃん。後から届くようにするとか」
この冷蔵庫はお母さんが電気屋さんで一目惚れをしてどうしても欲しいということで買った。
うん十万もする最新式の冷蔵庫だ。
一年も経っていないのでまだまだ使えるし金額を考えれば置いていくのはもったいない。
それは私にもわかる。
けれどお母さんは眉間に皺を寄せて目を閉じ、うーんと迷って「断捨離!」と結論を出した。
「良いの? だって高かったよね」
「良いんよ。良いん。鈴白に帰ったらお父さんにもっといい冷蔵庫買ってもらうから。それにねぇ……お母さんの実家はこーんなおっきい冷蔵庫、台所に置けんから」
そう言ったお母さんは懐かしそうに優しく目を細めた。
お母さんの実家かぁ。
でもどうしてお母さんの実家になんだろ。お父さんの実家に行くって話だった気がするんだけど。
ブラウスを掴んだままでいた私をお母さんはいつものように抱きしめて、身体を左右に揺らした。
「お母さんの実家はねー、洸姫が住むお屋敷と近いんよ。お隣の高田さんちとその向こうの三郎爺の家のお隣がお屋敷なんよ」
「そんな近いんだ?」
「そうよー。一キロくらい」
「……」
一キロの間に家が二軒って……。
お母さん、それは近いとは言わない……。
指摘するのを戸惑っていればお母さんは腕に力を籠めた。
「お父さんの実家はお屋敷から遠いんよ。ちょっとだけ。だからお母さんの実家に住もうってさっき決めたんよ。美影もね。一緒には住めんけどできるだけ洸姫の近くに居てやらんとってお父さんが言ってたん。お母さんも同じ気持ちっ」
涙声になったお母さんの背中に手を回して私は鼻の奥がつーんとなった。
お母さんとキッチンで冷蔵庫を名残惜しんでいると、荷物をまとめた美影が足音をわざわざ立てて入って来た。
私と違って荷物をまとめたカバンも持たず、友達の家に遊びに行くように手ぶらだった。ウニクロの黒いダウンジャケットのポケットにスマホを突っ込んでいるだけ。
身軽過ぎる格好にお母さんは顔を顰めただけで何も言わない。
引っ越したくないと言った美影がとりあえずお父さんの説得に応じただけで良しとしたのだろう。
私はお母さんから離れて美影に駆け寄った。
「そんなんで大丈夫なの? どっかで一泊するって言ってたからパンツ一枚くらい持ってった方が良いんじゃないの?」
出来るだけ明るく言った私に美影は充血した目を険しくさせる。
恨まれてる。恨まれてるわー。
「別にすぐ帰って来るから必要ないし」
「え、そうなの!? でも何日も同じパンツって有り得ないんですけど」
「オレのパンツの心配すんな!」
美影はお父さん譲りの綺麗な顎をクイッと椅子に向ける。
なので私は大人しくそこに座った。美影も。
隣り合って美影を見ればポケットに両手を入れて背を丸める。
「とりあえずお父さんたちと鈴白? に行くけど。そこで偉い人にお願いすればこれからもこっちで暮らせるかもで、最悪でも卒業式まではこっちにいられるだろうって言われた」
「うそ!? 本当!?」
「オレだけな。姉ちゃんはあっちの親がなんていうかわかんないから戻って来られないかもだけど」
「……そっかー」
「ただ……お父さんはこれからはあっちに住むっていうからたぶん卒業式までしかいられない。ずっとこっちに住みたいんだったらオレが偉い人を説得してみせろって。たぶん、無理」
口を尖らせた美影に、私も一緒に説得してあげる、と言いそうになって、でも口を閉じた。
私はやっぱり最低のお姉ちゃんだ。
だってもし説得が成功しちゃったら、お父さんもお母さんも美影も私から離れてしまう。
三月の卒業式までなら、いいけど。
ずっとこっちに住むってなったら北海道だし簡単には会えなくなっちゃう。
自分勝手に悶々と悩んでいると美影が私に肩をぶつけてきた。
「なによ」
「ていうか、姉ちゃんこそ。学期の途中で転校とか」
「あぁ……そうなんだよねぇ。私も三学期まで居られるようにお願いしようかなぁ。お友達にだって転校するとか言ってないし」
衝撃の事実を聞かされたのが昨日の夜で、今朝は慌ただしく、誰にもなんにも言ってない。
内心では引越しをして転校するのを受け入れていないからかもしれない。
美影は卒業式まではこっちで暮らす気で、偉い人を説得出来ればあわよくばって思ってる。
でも何となく私の方は行ったらそれっきりになるような気がしていた。




