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「どうしよ、どうしよ……」
『おしるし』が来たらどうするって竹婆は言ってたっけ!?
誰かを呼んで産屋に入れって言われてたよね!?
ちょっと待って、その前に本当に尿漏れじゃないか確かめないとじゃない!?
着物の裾を捲ろうと少しだけ前屈みになろうとしたけど、お腹に出来るだけ力を入れたくない私は直立状態で膠着した。
「誰かー誰かー」
再びお腹に力を入れないように部屋の中で誰かを呼んでみるも誰も来ない。
いつもより小さい声だし、部屋の声は外には聞こえ辛い。
「そうよ、鈴! 忘れてた!」
慌てて手に取って振ろうとすれば、慌て過ぎて手から落ちる。
しゃがむとまたお腹を圧迫するから、ひ、拾えない……。
にっちもさっちもいかない状況に陥った。
後から冷静に考えれば『おしるし』が現れただけで『破水』したわけではないので、ちょっとくらい無理をしたってなんてことはなかったはずだが、私はもう焦っていっぱいいっぱいになっていた。
「誰かーだーれーかー」
そしてこれも後から考えれば玉彦か澄彦さんを本気で言葉に出して呼べば気が付いてもらえたはずだが、そんなことは私の頭から抜け落ちていた。
「おーい。誰かー」
めげずに声を上げていると何の気配もなかった襖がすぱーんと開けられる。
そこには鉞は担いでいないし熊ではなく黒駒に跨った金太郎よろしく、火之炫毘古神がいた。
「火之、黒駒っ」
一柱と一匹は私に手招きされて部屋に入り、私を見上げる。
このコンビは何をして遊んでいたのか疑問だけれど、今はそれどころじゃない。
「お願いがあるのよ。火之、父を呼んできて。母が危ないって」
切羽詰まった私の様子に火之は頷き、燃え上がりながら黒駒から飛び降りて一目散に駆けて行く。
燃えちゃいかんと言う隙もなかった。
「あっ。間違えたーっ! 火之だけじゃ玉彦視えないじゃないのー!」
今日は当主の間ではなく惣領の間でお役目だった?
いや、どちらにしろ稀人がいるなら誰かが視えるか。
とりあえずあれだけ燃えていれば玉彦だって気が付く。たぶん。
「黒駒。黒駒はね」
優雅に尻尾を振り、私からのお願いを待つ黒駒を見て考える。
竹婆を呼びに行く。
多門を呼んで来る。
万が一に備えてここで待機。
うーんと考えて私は四つ目の案を口にした。
「一緒に産屋に行ってくれる? 跨げないけれど横座りなら出来るから、あぁでも力入っちゃうかなぁ……」
狼のように大きな黒駒でもその背に乗ろうとすればバランスを取るために少なからずお腹に力が入る。
どうしようかと思っていたら黒駒は押し入れに首を突っ込み、お布団を引き出した。
そしてカシカシと前足でお布団を示してから、端を口に咥えて引き摺った。
「これに乗れと?」
座ると引き摺りにくいだろうから私はゆっくりとした動作でお布団に横になった。
すると黒駒がお布団を咥えてずるずると廊下へと出る。
「やだもう黒駒! お利口過ぎる!」
そうして庭の産屋の前にある部屋に到着すれば、タイミング良く玉彦と豹馬くんと多門が駆け込んで来た。
若干焦げ臭い気がしなくもない。
それから。
私の長い一日が始まったのだった。




