第十七章『何処の何方か存じ上げませんけれども』
一月五日。
昨日五村の神社を廻り、新年の儀を終えた正武家の当主と次代は七日までお役目はせずにお屋敷で今年の予定を立てる。
予定と言っても大層なものではなくて、五村の行事は大体この辺りだからお役目は受けないようにしようだとかそんな感じである。
ただし今年は二月に大きな空白期間を設けることが決定していた。
私の出産である。
生まれる子どもたちは無垢でまだ弱い為に、お屋敷内に他者を迎え入れることは危険なのだそうだ。
黒塀に囲まれたお屋敷で滅多なことは起きないが念には念を入れて、と澄彦さんは言う。
正武家のお力を継ぐ子だけならば神経質になる必要もないが、もう一人。たぶん普通の子の方におかしな事が起こるのを危惧していた。
月子さんから凡その話を聞いて、私は澄彦さんと玉彦にとりあえず対策は出来た、とだけ伝えた。
詳しい内容を話すことはしなかった。
お竜さんが殿方にはって言っていたし、彼らも気にはなったようだが納得した様だ。
とにかく死ねと言われても、それは無理、とお断りすればいいのだろう。
それよりも今。
私は自分の至らなさに大汗を掻いていた。
月子さんの話を聞いて、あぁああああああっと頭を抱え込みたくなった。というか抱えた。
あれだけお屋敷に居て暇だなんだと文句を垂れて、だらだら過ごしていた自分を張っ倒したい。
月子さんは暇な時間に布おむつを縫って過ごしていた。
私もそうすべきだったと今さら、ほんと今さら後悔した。
紙おむつが悪いわけじゃない。
私だってヒカルだって紙おむつだった。なので私の子どもたちも紙おむつってことに疑問すら持たなかった。
玉彦の稼ぎだったら二人分の紙おむつ何年か分なんて屁の河童だろうと何の心配すらなかった。
でもだがしかし。
この子たち以降に出産予定がない、かもしれない、最後の子育てになるかもしれないのに、しかも一人は五年後に一旦手放さなければならないのに、私は私ってやつは!
落ち込む私に心配した玉彦が声を掛け、理由を話してミシンを買って、と頼んでみたが今さら遅いと却下された。
なにさ、子どもたちのおもちゃとか無駄に買い込むくせに私のミシンは買ってくれないのか。
今から手縫いで頑張っても焼け石に水だし、諦めるしかない。
子育ての最初から躓いた気分になって産む前からどんよりだ。
だったらせめて母乳で育てるということは諦めないでおこう。
玉彦は胸が萎むと残念がっているが、子どもたちの健康が第一だ。
けれどこの案は思わぬところで反対にあった。
妊娠中一番の私の理解者で味方だった竹婆である。
赤ちゃん一人だったら心配はないが、二人ともなれば母親の負担は二倍な訳で、無理だと断言されてしまった。
無理と言っても世間では双子のお母さんは頑張ってるじゃないのと反論すれば、粉ミルクを上手く活用しているからだと竹婆は私と玉彦の前にバサッと数枚の書類を置いた。
書類には女性の顔写真と住んでいる村などが記載されており、二人でよく吟味する様にと言って本殿の離れへと帰ってしまったのだった。
玉彦と二人揃ってずーんと沈んだ夕餉の席で、澄彦さんは書類を片手に箸を進める。
「竹さんの言うことは一理あるよ。子どもたちの成長や健康も大事だけれど、それと同じくらい比和子ちゃんの健康も大事だからね。今時って思うかもしれないが、僕だってそうやって育ったんだ。竹さんが乳母を勧めるのは当然のことだと言える」
そう、竹婆が置いていった書類は乳母候補の女性たちの経歴書。
普通の履歴書と違うのは職歴ではなく、育った環境や食の好み、家系の病歴が記載されている点だ。
一通り目を通せば、喫煙や飲酒を好む人は一人としていなかった。




