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「確か玉彦が産まれたのは日を跨いでの夜中だったと聞いていますけど。まさかそれまでずっと耳元で?」
月子さんの昔話の話の腰を折って、私は思わず訊ねた。
月子さんは自分でも言っている様に何も不可思議な力は持ち合わせておらず、耳元の囁きは聞き間違いだと思っていたようだが、陣痛が始まった時にも聞こえて、流石にこれはおかしいぞ、と思ったようだ。
「そうなの。でもね、産屋には竹様と松さん梅さん、東さんしかいないの。産屋の外は稀人様たちが見張っていたし、お屋敷の座敷からは当主様と次代様が見守っていたそうだから、不審な女性はいなかったそうなのよ。あとから聞いた話だけれど。思い起こせばあれが私の唯一の不思議な体験だわね」
精神的に不安になっていたから聞こえていたのかもだし、自分以外の人間には聞こえていない様子だったので、月子さんは自身に起こった現象についてこれまで一度も誰にも話さなかったそうだ。
というか私に話をしてくれている今ですら、怪奇現象ではなくただ極限状態に追い込まれた自分が勝手に聞こえた空耳だと思っているようだ。
でもなんとなく、私は思う。
確かに正武家のお屋敷は禍は近寄れない仕様になっているが、例外はある。
それは神様だったり、雪ん子のように妖だけれど正武家の人間に歓迎されたり敵意が無いと判断された不可思議なものは入り込むことは出来る。
それに声だけならば、私が遭遇した流れ者のように塀の外からちょっかいを出すことも可能だ。
ただしかごめかごめを歌っていた流れ者の声は那奈には聞こえなかったが、稀人の須藤くんには聞こえていた。
月子さんが聞こえているのに産屋の周囲を警戒していた稀人、九条さんや宗祐さんに聞こえなかったということはありえるのだろうか。
ましてや産屋の中には竹婆も居た。九条さんや竹婆に聞こえない声の主。
もし月子さんの空耳ではなく本当に存在している者の声だったとしたなら、可能性は二つだ。
声の主は九条さんや竹婆ですら認識できない神様だった。
もしくは……お竜さんからほぼ答えらしきものを聞いていた私はこっちの方が確実だろうと思った。
それは、五村の意志。
お竜さんに五村の意志とは何か知っているかと聞けば、彼女は頷いた。
そこから私の出産の話、正武家の母の心得の話になったから、正武家の母となる女性は須らく五村の意志と対峙する定めにあるのだろう。
しかも私が考えていた最悪のタイミングでだ。
「ちなみに声が途切れた、もう聞こえなくなったのは玉彦を産んでからですか?」
「え? あぁ、あんまりはっきりと覚えていないのだけれど、たぶんねぇ。ぽんって出て来る前にはもう消えてたと思うわ」
「消えてた?」
月子さんは当時のことを思い出したようにお腹を摩り、眉間に皺を寄せて目を閉じた。
「じんじんとね、陣痛が段々狭まってきて、おしるしもあったり破水して踏ん張れ踏ん張れって竹様たちが励ましてくれるのよ。でもね、みんなの声に紛れてずっと死ね死ね、相応しくない、消えろとか腹の立つ言葉も紛れてるわけよ。頭に来るわよー? こっちは必死で息んで痛みに耐えてロープを掴んでるのにずっと同じ調子で耳元で楽そうに一人で勝手に喋ってるんだから。だからね、ほんっとうに頭に来てね、言ってやったのよ」
「え?」
「うるさい! 黙れ、馬鹿ー!って。何を言われたって死ぬ気は無いし、相応しくないとかこの状況でそんなこと言ってるあんたが相応しくないし、消えるんだったら私じゃなくて空気を読んであんたが消えなさいよ、って」
「口に出して言いました?」
そう私が聞くと月子さんは苦笑いを浮かべた。
「出てたみたい。でもね、竹様たちは出産のときには色んなことを無我夢中で口走ることがあるから気に召されるなって。でもねぇ、ちょっと聞かれたくは無かったわよね。だぁってレベルの低い姉妹喧嘩みたいな内容なんだもの」




