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「もう決めてくれました? 子どもの名前」
私が尋ねると彼は再び小首を傾げて、微笑むだけ。
これはまたのらりくらりと答えてくれないパターン。
最初は子どもの性別が分からないからまだ考えられないのかなと思ったけれど、だったら男の子と女の子、二つの名前を考えれば良い。
いくら聞いても急かしても考える素振りを見せない彼に私は赤ちゃんの名付け辞典をこれ見よがしに部屋の文机に何度も置いてアピールしたけど、ついぞ捲っている姿は見なかった。
澄彦様のことだから突拍子もない名前を付けたらどうしようと思うこともなくもない。
けれど歴代の正武家様当主のお名前は『彦』が付けられるので、突拍子もない名前と言っても逆に難しい。私が思いつくのは最悪『彦彦』くらい。
「生まれてから名無しの子じゃ困りますよ?」
いつもより頑張って食い下がると、彼は握っていた手をぽんぽんと叩く。
「名は子の顔を見て決めるから。心配しなくて大丈夫。子に一番相応しい一文字を贈るよ」
ということはやっぱり『彦』が付くことは確定。
あとは顔を見て決めるってことだけど。
生まれたての赤ちゃんって最初から可愛い訳じゃない。
澄彦様が率直的な感想で『猿彦』とか言い出したら、私は多分絶対ぶん殴ると思う。
彼に聞いても顔を見てから決めると言っている以上、食い下がっても意味はない。
きっと本当にまだ考えてすらいないのだろう。
『------死ね』
「え?」
ふっと耳元で囁かれた悪意ある言葉。
微笑む彼と向かい合っていた私の耳元で、誰が囁けるというのか。
「だから顔を見てから決めるってば。大丈夫大丈夫」
「え、あ、そうじゃなくって今、し」
死ね、という不吉な言葉をこの場で口にしたくない。
してはいけない。これから生まれる命があるのに正反対な言葉。
聞き間違い、かな。
お屋敷の塀内の庭には人影はなく、振り返っても部屋に居るのは二人だけ。
今の囁きは若い女性の声で、お屋敷の関係者で私よりも若い女性はいない。
お屋敷に出入りする私の次に若い東さんの声じゃなかった。
そもそも彼女は間違っても私にそんなことは言わない。
挙動不審に辺りを見渡した私に倣って彼もきょろきょろと辺りを見渡す。
「月子?」
「あ、えぇ。ちょっと声が聞こえた様な気がしたのですが、気のせいだと」
「もしかしてお腹の子の声とか?」
「違う、と思います……」
子どもの声じゃなかった。
若い、女性の声だった。
というか生まれて来る前に母親に死ねという子がどこにいる。
話そうか迷っているうちに竹様が私を呼びに来て、産屋まで彼に送ってもらった私は自分の聞き間違いだと思うことにした。
色々と不安を抱えているので在りもしない声が聞こえてしまったんだ。きっとそう。
だって私には不思議な力はない。
これまで五村で生活をしてきて、一度だってそういったものと遭遇したことすらないのだ。
ましてやそういったものを寄せ付けないとされる正武家様のお屋敷で起こるはずがない。聞こえるはずがない。
出産直前で神経質になっているのかも。
そう気を取り直した私の耳に再び同じ言葉が囁かれたのは、陣痛が始まってまだ間隔が狭まっていない夕方のことだった。




