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けれどところがどっこい、すっとこどっこい。
蓋を開けて見れば正武家様の次代様に見初められたのは長女で、次女は実家に住み込んでいた父の弟子と結ばれた。
と、言ってしまえば至極簡単な出来事だったけれど、この一件は他村の花嫁候補たち、そして彼女たちを後援していた人たちから非難轟々だった。
どうしてかって、私は五村の花嫁候補が選ばれる場に居なかったからだ。
各村から選ばれた花嫁候補五人は正武家様のお屋敷で花嫁修業をしながら適性を見極められ選ばれるのだが、私は呼ばれてもいなかった。その場に居たのは妹の陽子である。
というのは表向きで、実際は結婚したくないという一世一代の我儘をぶちかました妹に代わり、私が成り代わっていたのだ。
真実を知るのは両親と父の弟子、そして正武家様の関係者のみだ。
当初は二人だけの秘密だったけれど、のちに内輪で公になった。
内輪で公にしなければならなかったのは、成り代わった私が次代様に見初められてしまったから。
さすがに嫁ぐことになれば隠しておける訳が無かった。
幸い、次代様が百日も、本人曰く雨の日も雪の日も、夏なんだから雪の日は無かったけれど、実家に住まう私の元へせっせと通ってくれたので、異議を申し立てていた人たちは大人しくなった。
そうして秋に祝言を挙げて翌年。私は懐妊した。
正武家様のお屋敷での生活は良くも悪くも退屈だ。
籠の中の鳥、とは大袈裟だけれど、身の回りのことは稀人様や巫女様、事務所のお二方が済ませてしまうし、連れ合いとなった次代様には趣味に時間を費やして良いと言われても趣味もない。
仕方ないので私は嫁いでしばらくした後から、ラジオを流しつつ、部屋でまだ妊娠もしていないのに子どもの布おむつを縫い始めた。
さらしなら失敗しても安いから大丈夫、という私の裁縫の腕をよく知る松さんに縫い方を教わり、コツコツ黙々延々縫う。
一年も経てば出来栄えはともかくかなりの枚数になり、さらに妊娠してからも増え続けていたので、紙おむつ並みに使い捨て出来てしまう枚数になっていた。
五月。
胎動が穏やかになったお腹の子ども。
助産師をしてくれる竹様が云うにはそろそろ外へ出てくる準備をしているそうだ。
あと一か月後に会える我が子を思うと嬉しくもあり、悲しくもなる。
退屈だと思う生活だけど、幸せなのだ。
穏やかに過ぎる時の中で、愛するひとと家族と過ごす。
けれどこの幸せが続くのは、あと五年。
子どもが五歳になったら、私はお屋敷を去らねばならない。
そう昔から決まっている。これは花嫁候補がお屋敷に集められた最初の日に教えられたこと。
跡継ぎを生んだ女性は子どもが五歳になり、正武家様の人間として教育が始まる頃合いに去る、と。
去らなければどうなるのかということは誰も聞けなかった。
だから、あと五年。
あとたった五年で私の人生で最高の幸せな時間が終わる。
次代様と離縁した後は自分の人生を好きに生きても良いと当主様に言われているけれど、彼以外と再び結婚して家庭を持つことは考えられなかった。
別れてももう会えなくなっても、私の最後の家族は彼と生まれてくる子どもだけなのだ。
と、私は覚悟を決めていたのに、五年後に彼からお屋敷から去って離縁をしても会えなくなるわけではないと聞かされるのだった。




