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吐き出している佐々木は辛いだろうが、見ているオレも辛い。色んな意味で。
嘔吐に終わりが見えたのは彼女の口から吐き出されるものが透明な唾液へと変わった頃。
涙目になりながらソファーに横倒しになり、苦悶の表情のまま気絶をする。
通常なら背中を擦りながら楽に吐けるようにしてやらなくてはだが、正面に立ち尽くす主門に背を向けたくないオレは動かなかった。
これから玉様はどう動くのかと視線を後頭部に落とすと、再び黒扇を手のひらに打ち付け始めた。
ぱしんぱしんと十回。
さっきよりも全然短いタイミングで打ち終えると同時に主門の背後に先ほどの中年看護師が慌てた様子で現れた。
「やーっぱりここに居た。さぁさ、戻りましょうね。あんまり離れちゃ身体に悪いですよー」
看護師は躊躇することなく主門に触れ、そして強制的に車椅子に乗せると今度こそドアを閉めて立ち去った。
一瞬玉様と視線を合わせて軽くお辞儀をしたのをオレは見逃さなかった。
「綾ちゃん? 綾ちゃん!?」
ドアが閉められ怪異が終わったと判断した月子様が倒れ込む佐々木に駆け寄り、五十嵐も医者の顔をして彼女の腕の脈を取る。
佐々木の足元に吐き出されたはずの禍々しいものは焼きそばだけになっており、玉様の黒扇で彼女に憑いていた何かはすっかり祓われていた。
「あれを見るのは二度目である」
黒扇で口元を隠し、眉間に皺を深く刻む玉様は苦々しく言う。
オレは無言で頷いた。
玉様があれを目にした時、オレもその場に居た。
蘇芳様の寺の近くの即身窟内で都貴の亡念に囚われ、感化されていた優心が吐き出したものと同じ。
死んでいるから残されたものが強く現れたのか、生きているから未だに影響力があるのかそれは分からない。
一つだけ言えることは、まだこうした都貴の亡念が誰かに残されているかもしれないということだった。
佐々木綾。年齢はオレよりも二つ上。
普通の家庭に生まれ、普通の世界で育った彼女は普通の人間だった。
清藤一家に出会うまでは。正確には清藤都貴に出会うまでは。
怪異を孕む異分子を吐き出し、それなりに復調した佐々木はもうオレが本能的にぶん殴りたくなるような雰囲気ではなくなった。
そして彼女も玉様やオレを見て、嫌な感じがなくなった、と笑顔すら見せる。
月子様に寄り添われた佐々木はオレのスマホを手にして主門の寝姿を確認して知らないと言い、鰉と写る多門を目にして驚きの言葉を発した。
祓われたことにより清藤二人の顔を認識できるようになった佐々木は懐かしそうにスマホの画面を指で撫でた。
「大人になったなぁ。昔、私がまだ父の家に住んでいた時、近所に住んでいた子です。小学校が一緒で。中学高校は学年が重ならないので違いましたけど。あぁ、お姉ちゃんの都貴ちゃん、元気ですか? 片割れの亜門くんとか。懐かしい。ときあもたもって私たち呼んでました」
尺取虫と同じフレーズで三姉弟を呼ぶ佐々木は多門をしげしげと見て口元を綻ばせる。
「多門くんは年下だけど私の初恋です。こうやって嫌がってる風に見えるけど実はそんなに嫌じゃなくて、なんていうか天邪鬼で。でもいざって時には甘いっていうか優しいっていうか。……どうしてたもの顔、分からなかったんだろ。彼も元気ですか?」
「まぁ、見ての通りです。相変わらずのツンデレを発揮してます」
オレが答えると佐々木は苦笑いを浮かべてスマホを返した。
都貴や亜門に対して彼女はそれ以上聞かず、オレも言わなかった。
わざわざ死んだ、生死不明だと明かす必要もない。
思い出はそのままの方が良いこともある。
それからオレが質問する形で佐々木に根掘り葉掘り聞いたところによると、彼女は高校卒業後、離婚した母親に付いて地元を離れたそうだ。
ちょうど大学入学と時期が重なり、家族で住んでいた家よりも母親が新しく借りた家の方が通学に都合が良かったらしい。




