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それから小一時間。
佐々木はずっと揺れ続け、対する玉様とオレは微動だにせず、月子様と五十嵐は窓際に立っていたがいい加減疲れてきたらしく、二人は床に腰を下ろしていた。
一体この状況がいつまで続くのか。
ふざけた様子の囮に顔の無い男は引っ掛かるのか玉様の策に不安を覚えた頃。
さわさわと二の腕に鳥肌が立った。
眼前の佐々木に変わりはなく、彼女のせいで鳥肌が立ったわけではない。
「玉様」
何も感じず視えない玉様にそれとなく異変があったことを含ませて名を呼ぶと同時に、キィ……と応接室のドアがひとりでに開いた。
佐々木を除いた全員の視線がドアに集まる。
応接室のドアは他の病室や診察室のドアと違い、木製の両開きのドアだ。
廊下側からドアノブを回して引き開けるタイプのもので、風で勝手にだとか誰かが衝突した拍子に開いてしまうものじゃない。
開けようとドアノブを回し、引かなくては開かない。
ドアの隙間から何が現れるのか凝視していると、木製のドアが右側だけスーッと全開になり、けれどそこには誰もいなかった。
「えっ。ドア、歪んでるのかな。閉めるぞ。御門森」
五十嵐が立ち上がって向かおうとした矢先、左から廊下に人影が落ちた。
「五十嵐。動くな。動かなくていい。閉めなくていい」
人影は徐々に開け放たれたドアへと近付き、そして影の主がひょっこりと顔を出した。
中年の、看護師だった。
全員が脱力し、同時に大きく息を吐き出す。
「あら。五十嵐先生。こちらで何をされてるんです? ドア、閉めます?」
ちょっと小太りの看護師は愛想よく笑ってドアノブに手を掛けて応接室を覗き込んだ。
彼女は一瞬びくりと身体を強張らせて、月子様曰くけったいな動きをする佐々木の後頭部を指差す。
「その方、大丈夫ですか? そんなになっちゃって」
「あ、大丈夫です。大丈夫。ここ今取り込んでるんでドア開けたまま通ってください」
五十嵐がそう云うと看護師はそうですか……と言って一旦姿が見えなくなり、そして『誰も乗せていない車椅子』を押して去って行った。
車椅子というキーワードに過敏になり過ぎている感は否めないが、このタイミングで車椅子を押す看護師に違和感を覚える。
とは言っても彼女は生きている人間で、しかも五十嵐を先生と呼ぶここの看護師であることには違いない。
だが、何かこう、おかしな感じがする。
車椅子を押していたことか?
いや、違う。
誰も乗せていなかったことか?
それも違う。
……そうだ、普通なら応接室のドアが開いていたとしても通りすがりに中をチラリと見て通り過ぎないか?
わざわざ中の人間に声を掛ける必要はあったのか?
中を覗いて、何かを確かめる様子があったように思う。
振り向きもせずに揺れる佐々木を見て、『そんなになっちゃって』って……言ったよな?
ただ揺れている人間にそんな言葉を使うだろうか。
まさか。
再び窓際に座り込んでいた五十嵐へオレは確信を持って確認をする。
「さっきの看護師。あっちの棟の看護師だろう?」
「あ、あぁ。よくファイルに載ってない看護師ってわかったな。もしかして一回見て覚えちまったのか?」
そんなにオレは優秀じゃない。
玉様ならば或いは、だが。
中年の看護師が特別棟の担当だと分かったのは、当然の帰結だ。
特別棟では特殊な患者を扱う為にまず『視えること』が第一条件。
つまり彼女は車椅子を押して応接室の前を通りかかり、変な気配がするので覗き込んでみれば大丈夫かと心配になるような姿をした佐々木がいて、驚いて声を掛けてきたのだろう。
……この推測は凄くしっくりくる。
しっくりくるが……そもそもなぜ特別棟の看護師が一般の外来棟に来ているんだ?
次の疑問が浮かび、何となしに開けっ放しになっていたドアを見、彼女が去って行った右方面に視線を流し。
オレは久しぶりに、まるで素人のように「うおっ」と驚きの声を上げてしまった。
廊下の向こう側へ開いているドアの蝶番部分の隙間から、こちらをじっと見つめる目が浮かんでいた。




