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五十嵐に先導される形で建物内を廻り、当主の札二十枚を玉様が検分したが異常はどこにもなかった。
当主の札はどれも専用の白い額縁に納められており、傍目には物々しい美術品のようだった。
一枚一枚額縁から札を取り出して検分してもまっさらで、この札がここにあるという存在感だけで禍を寄せ付けていないことが分かる。
禍は近付いていない。だから札に異変が無い。それはつまり当主の力が衰えてはいないことを示し、そして佐々木が見たという顔の無い男の存在が怪しくなってきたということだ。
どこか安堵した表情を見せつつ玉様は最後の札を額縁に戻し、元の壁に掛け直す。
最後の札を確認した場所は大きなモミの木が聳える病院のエントランスで、佐々木が二度男を目撃した例の二階も見えた。
たぶんあの辺、という五十嵐が指差した方を玉様と見上げたが、当然のことながらこちらを見下ろしている人間はいなかった。
というか病院自体が特殊な環境で、待合などに椅子を置いているが限られた人間しか訪れないことから診察に待ち時間などなく、誰かが座ることはまず無いな、と二階を見上げるオレたちの後ろで五十嵐が補足した。
「入院患者もこっちで診察するのか?」
「基本的には病棟で。そもそも入院患者がこっちに来ることはまず無い。あっちの病棟に専用の出入り口があって見舞客とかはそっちを使うから見送りとかもこっちには来ないし」
「へぇ。じゃあ尚更入院患者で、しかも病衣を着た人間がこっちにいると目立つよな?」
「だな。つーか俺、すごく簡単な確かめ方を思いついたんだけどさ。さっきの佐々木さん、ぐるっと入院病棟回れば良いんじゃないの? ざっと病室見て、顔の無い男探せば良いんじゃないの?」
五十嵐の提案は顔の無い男が存在していることが前提ならば良い手である。
しかし札に異変が無かった以上、その存在を疑わなくてはならない。
札と目撃証言のどちらを信用するのかと言われれば、間違いなく当主の札だ。
そこは揺るがない。
一旦作戦会議室と化した応接室へ戻ると月子様と佐々木は既に戻っており、車椅子の数の報告を受けた玉様の隣でオレは報告内容に首を傾げた。
さっきの五十嵐の話だと特別棟には患者は主門のみであり、四六時中寝ているか極たまにベッドの上で起き上がっていると聞いていた。
歩行する筋肉は衰え歩けないことが予想される主門なので特別棟に車椅子が一台だけあるのは理解できる。
しかし生活全般はベッドの上で介護状態であり、病室から出歩くことは無い。
なのに、だ。
先月十五日。佐々木が顔の無い男を見たと証言した日。
特別棟の車椅子に貸し出し記録が残されていた。
申請したのは特別棟の看護師である。
特別棟の車椅子を特別棟の看護師が使用申請したということは、使用するのは主門しかありえない。
では主門が車椅子を使用し、外来棟まで来たのかと言えばそうではない。
五十嵐に確認を取れば、主門はこちらへ来てから検査の為に数日外来棟と行き来していたが、容体が落ち着いてから今まで『一度も』特別棟から出てはいない。
じゃあ特別棟の看護師は車椅子を何に使用したのか。
些細な事柄だが放って置かずに聞き込みをした方が良いように思う。
「瓢箪から駒、であるな。五十嵐、特別棟へ案内せよ」
玉様も同様の考えを持ち、主門に面会はしないが看護師の話は聞きたいと五十嵐に言うと、大人しくオレたちの話を聞いていた月子様が満面の笑顔を浮かべて玉様の黒い羽織の袖を引いた。
満面の笑みだがちょこっと額に青筋が見えるような雰囲気だ。
玉様は月子様の様子にハッと壁の時計を見上げて口元に手を当てた。失念していたっ!と珍しく玉様が動揺を思わず口にする。
「玉彦。そろそろ昼時です。続きはお昼を頂いてからにしましょう。そうしましょう」
月子様に袖を引かれて強制的に応接室から退出することになった玉様は、後ろに続いたオレを振り返り、母上は腹が空くと機嫌が悪くなる、と息子の顔を覗かせた。




