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病院のエントランスにはクリスマスということもあり、飾り付けられた大きなモミの木がオレたちを出迎える。
吹き抜けのエントランスに堂々と聳えるモミの木をどこから調達してきたのかと呆然と見上げていると、受付で立ち話をしていた初老の白衣の男が小走りでやって来た。
白衣を着ているので医師なのだろうがどことなく喫茶店のマスター的な雰囲気がある。
「正武家様。奥様も。お疲れ様でございます」
歩きながら差し出された手に玉様は目もくれず、月子様が慌てて両手で握る。
「今日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。坂田院長」
「いえいえとんでもないことです。どうぞご自由になさってください。案内役を一人付けますので使ってやってください。今週ずっと夜勤に入っていた医師なので夜のことは彼に聞かれた方が実入りがあるかと。少しお待ちください。今呼び出しますので」
そう言ってロマンスグレーな坂田院長は院内用の携帯電話を耳に当てた。
それからしばらくして夜勤明けで草臥れた若い男が姿を現し、オレはその疲れ具合に思わず笑ってしまった。
玉様も苦笑いを浮かべて、ボサボサの頭をガシガシと掻きながら近付いてきた男の二の腕を軽く叩く。
「五十嵐であったか」
「玉様、御変わりなさそうでなによりです。上守さん、あーっと奥方様もおめでとうございます。御門森も久しぶり」
夜勤明けで面倒なことに巻き込まれた気の毒な医師は玉様とオレの同級生の五十嵐だった。
美山高校卒業後医大へ進んだことは知っていたが就職先までは聞いていなかった。
五十嵐は高校三年間ずっとクラスの委員長を務めていたが、三年生になると受験勉強が大変になるので副委員長に大抜擢された上守がサポートしており、五十嵐は卒業式で上守に物凄く感謝をしていたのを覚えている。
ちなみになぜ上守が大抜擢されたのかと言えば、進学しないから。しかも就職先というか嫁ぎ先も決まっていて進学特化で唯一の暇人だったからだ。
付いたあだ名は『無敵の女副委員長』。
無職で何も失うことのない人物に付けられる蔑称だが、オレたちは感謝の意を表してそう呼んでいた。
なにせ一年間クラスの雑用をしてくれるのだ。
たとえ学校祭で女装喫茶になろうともそれは上守が決めたことだから、と誰も逆らわなかった。
気心の知れた五十嵐の登場にオレは味方を得た気がして、緊張が解かれた。
五十嵐が案内をしてくれるなら絶対に嘘は吐かない。曖昧なことも言わず、客観的に冷静な視点で話をしてくれるはずだ。
「じゃ、ひとまずあちらへ」
そう言った五十嵐はオレたちを二階の応接室へと案内をする。
途中使ったエレベーターには地下一階から三階、そして屋上のボタンがあった。
通された応接室は以前訪れた羽曳野市の市長室よりも立派で、玉様は遠慮なく黒い革張りの一人掛けソファーに腰を下ろした。
そこは恐らく院長がいつもなら座る位置だ。
月子様と佐々木は並んで座り、オレは五十嵐とローテーブルを囲んだ。
久方ぶりの再会に世間話に花を咲かせたいところだったが、玉様に視線で促された五十嵐は手にしていた赤いファイルを病院の見取り図だとオレに手渡した。
「結論から言うと現在院内に怪奇現象と呼ばれる様なものは起こっていない。他の医師や看護師、事務員にも確認済みだ。患者は五十人近く入院しているがそういった訴えをしている患者はいない。これまでもそう云うことを言って来た患者もいない。そして自分も感じたことは無い。以上です」
これ以上ないほど簡潔に事前調査の内容を報告した五十嵐に玉様は頷き、それから佐々木に目を向けた。
院内にいる人間誰もが遭遇していないという怪奇現象を唯一証言した佐々木はその場の全員の視線を受けて顔を伏せた。
「この前、先月ですけど。あと今月も。十五日にこの病院へ訪問することになってるんですけど、二回とも見ました」
電話では詳しく話さなかった佐々木がようやく具体的なことを口にする。
「何を見たの? 綾ちゃん」
月子様が佐々木の握り締めた拳に手を置き、安心させるように何度も擦る。
「二回とも神野さんと来たんですけど彼女は居ない見えないっていうんです」
「だから何が?」
「顔の無い男の人です……」




