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「組屋敷の者たちは暇潰しのつもりで行っていた故、百話目に重きを置いてはいなかった」
「うーん」
「しかし、だ。ある晩。トントン拍子に話が進み、ついに百話目に到達してしまったのだ」
「え……」
「重きを置いていなかったが故に、百話目だと気が付かなかったのだ。九十九話目を話した者は蝋燭の火を消し、残り一本だと気付いてはいたが、仕事が入ってな。語り部屋に一声かけて出掛けたそうだ。もう終わりだろうと。いつも誰かが席を抜けなくてはならない時には百物語は切り上げることになっていたそうだ。しかしこの日は、部屋に茶を運んできた老婆が最後の話をしてしまった。そして部屋を片付ける為に蝋燭の火を、消した」
そうして百物語の怪異は組屋敷を襲ったのだ。
塀に囲まれた組屋敷に老婆が恐れる虫たちの大群が押し寄せたのだ。
しかも普通の大きさではない。
天井を突き破る百足、庭を闊歩するカメムシ。昔の顛末記によると蟻や蜘蛛、蚯蚓、蛾などありとあらゆる巨大な虫が溢れかえっていたらしい。
塀の内側は百物語によって異界と化し、百物語を行った武士たち数人と老婆は出られなくなってしまった。
そこから出るためには百物語の怪異を消すしかなく、当時の正武家の当主も尽力したものの、退治し切れない。
異界では次々と武士たちが虫に食われ命を落としていったが、老婆だけ襲われなかった。
なぜなら老婆が最後の話をした人物であり、彼女を殺してしまうと巨大な虫たちは消える定めにあったから。
永遠に老婆は巨大な虫たちと閉じ込められてしまったわけだが、それからおよそ百年後。
事態は急展開を迎える。
出たい老婆と消えたくない虫たちの均衡が破れたのだ。
それは老婆の怨霊化である。怨霊化した気持ちは良く理解できる。
怨霊と化した老婆は次々と虫たちを襲い、消していった。
しかし虫たちは歪んだ異界で隠れてしまうので彼女の悲願は未だに達成されていないのだった。
「だったら木戸に出てきた老婆を退治してしまえば良くないですか?」
うん、私もエドワードと同じ質問を玉彦にした。
老婆を祓ってしまえば虫は消えるのだから。
度重なるエドワードの質問にデジャヴを覚えた玉彦は私を見てから腕を組む。
「数百年物の怨霊は正武家とはいえ骨が折れる。出来ない訳ではない。しかし老婆は虫たちを自力で駆除すれば成仏するのだ。放って置けば良い」
「助けない?」
「あの者は既に助けなど求めておらぬ」
「でも誰かが中に引きずり込まれたら」
「入られぬのだ。腕や足、頭などは木戸を抜けられるが、心臓が抜けられぬ。異界へ行けるのならば当代の当主が乗り込んでいたであろうな」
「じゃあ逆は」
「虫たちはその大きさから無理であろう。しかし老婆は……恐らく怨霊と化した時点で出られるようになったのではないかと推測している」
「出て来ればいいのに」
「怨霊が緑林の地を踏めば我ら正武家の出番となる」
老婆は正武家に祓われるくらいならば巨大な虫たちを退治して自力で成仏する方を選んでいるのだ。
一通りの疑問に答えてもらったエドワードは複雑な顔をして黙り込む。
さっさと祓われてしまった方が楽なのに何百年も虫と戦い続ける老婆の気持ちが分からないようだ。
きっと老婆は怨霊となってしまった時に、心も人のものではなくなってしまったんだと私は思う。
喜怒哀楽の怒だけが残り、それは全て虫たちに向けられている。
「緑林の倒れずの木戸は深夜訪れなくては開かぬ。子供らが訪れるのは日中、肝試しと称して夜中に行く者たちも中にはいただろうが、その者たちは何を見たのか知らぬ。祟るはずの怨霊が出てこないゆえに、見た者たちに被害は出ない。よって正武家の耳には入って来ない」
百物語の一つの話の落ちのように玉彦は語り終え、僅かに顔を俯かせた。




