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私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~  作者: 清水 律
私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~
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 人間の首の構造として有り得ない動きにドッと心臓が激しく鼓動を打つ。

 こちらを向いたアヤトの顔は眠っているように見えたが、凝視しているとパッと薄い目を見開き、特徴のある赤味が過ぎる唇を本当に耳まで裂けさせた。


「……!」


 声が、出ない。

 起き上がろうとした身体も動かない。

 目を閉じようとしても瞬きは出来るのに、閉じることは叶わない。


 典型的な金縛り状態にオレは冷たい汗を流すことしかできなかった。


「カズヲ……。カズヲ。……カズヲ」


 オレの名を繰り返し呼ぶアヤトは何が面白いのか繰り返すたびに口を歪ませる。


「カズヲ。カズヲ。……鈴木和夫。お前の名は鈴木和夫。鈴木、和夫」


 ハンドルネームだけではなく本名でオレを呼んだアヤトは、ふうっと息を吐き出し、目を閉じて恍惚の表情を浮かべた。

 コイツはアヤトじゃなくて憑りついた流れ者というやつだ……。

 腕を伸ばせば届く至近距離で、この世のものじゃないモノと対峙したオレはいっそのこと気絶させてくれと思った。

 いや、でも気絶したら何をされるか分からんから駄目だ。

 でもでも生きたまま痛い思いはしたくないからやっぱり。

 生れてこの方真正面でこんなに名前を呼ばれたことは無いほど繰り返し呼ばれていると、反対側の安芸津がガバッと起き上がった。


「五月蝿い!」


 オレからは見えないがアヤトの視線がオレから外れて上の方に向き、安芸津を捉えた。

 ぎょろっと黒目が動き、白目は血走っていた。


「田中明子。お前は田中明子」


「はっ!? 私の……」


 男三人は玉様屋敷で今回の五人の本名を聞いていたから安芸津が田中明子であると知っているが、あの場にいなかった安芸津は知らないはずのアヤトに本名を言い当てられたと思って言葉を失くす。


「あっちは高橋絵梨ぃ。ひひひひひ」


 甲高く笑い始めたアヤトは安芸津を真似て、ガバッと起き上がった。

 うつ伏せなのにどうなってんだよ、あの身体は!

 起き上がったアヤトから酷くえた臭いが漂い、気が遠くなる。


「五人組は一蓮托生ぉ」


 一連、托生、だと?

 アヤトが発した言葉を頭の中で反芻し、見たことも無いはずの祠を思い浮かべながらオレは意識を失った。









 寒くもなく。暑くもなく。


 眠くもなく。腹も空かず。


 身体の感覚が全くないまま、オレは目覚めた。


 初めに目に映ったのは木枠に縁どられた畑の雪景色と、供えられた黄色と白の菊の花。

 視界は立ち上がった時の高さではなく、ちょうど座っているくらいの高さ。


 横を向くことも上を向くことも出来ず、目だけを動かす。


 ……目だけ、動いているんだろうか。


 というか、目、あるんだろうか。


 視覚だけがあるが、その他の感覚が何もない。

 手を動かそうとしても動かし方が分からない。

 呼吸を意識してみたが、息を吸っているのかさえも曖昧だ。

 オレは今までどうやって自分の身体を動かしていたのかそれすら分からなくなっていた。

 派出所に居たはずなのにいつの間にこんな訳の分からないところで、しかも座って、座っているのか?

 流れ者に憑りつかれたアヤトが起き上がり、それから一体どうなった?

 今は何時だ。外が明るいから夜は明けている。


 みんなはどうなった?


 思考だけが巡り、でも何も分からずオレは気が狂いそうになった。

 けれど叫ぶことすら出来ない。

 誰かこの状況を説明してくれよ!


 目覚めてからどれくらい経ったのか、昇った陽に照らされた雪が解け、木枠と畑の間に砂利道が現れた。

 そして左手から紺色の防寒具を着込んだお爺さんがオレの前にしゃがみ込み、手を合わせる。

 数秒してから立ち上がったお爺さんは腰を仰け反らせて、今日も一日頑張るかー、と言って立ち去って行く。


 オレがここに居るのにまるで気が付いていない。


 それから入れ代わり立ち代わり、老若男女様々な人が訪れて手を合わせては行くものの、誰一人としてオレに声を掛ける人間はいなかった。



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