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「完全にロックオンされてるんだけど」
竜輝くんの背中に隠れれば、日本人形は私を視界から逃すまいと扉の端に寄って斜めに動線を確保する。
放り投げちゃったから恨まれちゃったんだろうなぁ……。
私はひび割れた顔の日本人形から視線を逸らさず、下がっていた鳴丸に右手を揺らしながら催促した。
「鳴丸。バットちょうだい」
「えっ!?」
「バットよ、バット。あんた、用意してたでしょ」
「あれは自分が……」
「いいから早く。私が襲われちゃったらどうすんのよ。丸腰なのよ。眼も使えないし」
「だったら大人しく下がっていれば宜しいのでは……」
ブツブツと呟きつつも鳴丸は私の右手にバットを握らせ、ずしりと感じた重さに何となく安心感を覚える。
バットなんて高校の時の体育の授業のソフトボールでしか振ったことがないけれど、私ならやれる。いける。出来る!
男子が多い進学特化のクラスでは体育も男女混合で、球技の時は野球で女子は見学がお約束だったけれど、私はソフトボールだったら女子も出来ると先生を説得して家政科が使用している用具を運び込み、ピッチャーの玉彦から場外ホームランを叩きだしてやったのだ。
あの時の呆然とした玉彦の顔はこれまでで一番だったと今でも思う。
普段は常人離れしている当主次代や稀人たちに囲まれているから私という人間は至って平凡に思われがちだけど、普通の人間の中ではこれでもそこそこスペックは高い部類なのだ。
一旦足を大きく開き、着物の裾を広げて動きやすくしてから、私は予告ホームランよろしくこちらを睨みつける日本人形にバットの先を向けた。
「私に飛び掛かって来たら、容赦なくぶっ飛ばすわよ」
叩くなら、完膚無きほど木っ端みじんになるまで。という考えは神落ち以降私が持ったもの。
両手でグリップを握り、右肩にバットを乗せて構える。
すると猿助と鳴丸が同時に懐からスマホを取り出して、私の勇姿を撮影する。
「比和子様をお止めするのが先ですよ、二人とも……」
振り返った竜輝くんは大きく溜息を吐いて、ライトから手を離し錫杖を構え、日本人形と私の間に身体を移動させた。
「そっちは何とかしろよー。オレは奥に行くからー」
高彬さんは臆することなく長い足で日本人形をひょいと跨いで部屋の中へと姿を消す。
跨れた日本人形は高彬さんなど眼中になく、私だけを真っ直ぐに睨み付けていた。
私は相当恨みを買ったようである。
ただちょっと頭を掴んで放り投げただけなんだけどな。
「比和子様はそこから絶対に動かないでくださいね。絶対ですよ。竜輝がこの人形を奥へと追い立てますから」
「うんうん。よろしく頼むわね」
離れた竜輝くんを見送り、私は軽く素振りをする。
そう言えば中学生の頃、須藤くんもお家の庭で素振りしてすぽっと手から離れたバットを塀まで飛ばしてたなぁ、なんて考えていると、竜輝くんの錫杖につつかれた日本人形が先を握り、小さな体躯で左右に振り回して竜輝くんが僅かに体勢を崩した。
「あっ!」
と、声を上げた時には既に日本人形は空中に浮かび、天井ぎりぎりの高さまで上がってから私目掛けて滑空してきた。
「……ぶっ飛ばすって言ったわよね?」
左足を軽く上げてバットを振り抜く瞬間、私はしっかりと飛び込んできた日本人形のお腹にバットを当てた。
でも、ぶほんとした感触で、日本人形は部屋へと飛ばされたものの、木っ端みじんになるどころか全然無傷だった。
仰向けに倒れてピクリとも動かないけど、何となく黒々しいオーラが立ち昇っているように視えなくもない。
「んんん~?」
「アイツ、首から下は布切れで出来てたぞ」
「そういうことは早く教えてよ、猿助」
私はもう一度バットを構え直し、次の襲撃に備える。
そして竜輝くんは錫杖を片手に天井を仰いだ。
「自分は……比和子様をお守り出来ているのでしょうか……。稀人として立派にお役目を果たしているのでしょうか……」
人形に体勢を崩され、僅かな隙を突かれて私が襲われ、守るべきはずの私が人形に一撃加えてしまったことから、竜輝くんはすっかり意気消沈してしょんぼりと塞ぎ込み始めてしまった。
これは不味い。稀人として立派に正武家の役に立つことが目標の竜輝くんの仕事に私がしゃしゃり出てしまった。
するとすかさず猿助が竜輝くんに駆け寄り、逞しい両腕でガッツポーズをとる。
「坊ちゃん! 気合ですぜ! 護り手代理はこの猿助が押さえておきます!」
いや、あんたが押さえるべきは日本人形であって私ではないはずなんだけど。




