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そして須藤くんのお家は、特に問題は無かったそうだ。
八年間、家には帰らないから、と言った息子に対して、玲子さんと爽太さんは、夫婦で新婚生活が味わえると大歓迎だったそうで。
一人息子の扱いとは、と実は数日塞ぎこんでいた。
多門に至っては、自分は根無し草だからーと気楽で、聞いているこっちが逆に気を遣う。
多門の家族は清藤の粛清で全員が居なくなってしまった。
父親の主門は入院しているけれど、多門がお見舞いに行っていることを聞いたことがない。
私に気を遣って言わないだけかと思っていたら、本当にお見舞いには行っていないらしく、お休みの日は私のお祖父ちゃんの家で畑の手伝いなどをしていた。
多門の帰るべき家は、ここ正武家屋敷で、家族は私たちと親戚もどきはお祖父ちゃん一家だと言うけれど、私としては複雑だった。
これは須藤くんにも言えることで、多門は結婚しない宣言をしていたけど、彼らは八年間、自分の子どもではない子どもを育てなくてはならない。
その間に恋愛をして生涯の伴侶を、と思っても私と玉彦の子どもが足かせになってしまうだろう。
だって他の人間の子どもを育てている男と結婚したいだなんて思える女性はそうそう居ないし、二人も子育てに重点を置くだろうからそもそも出会いにすら無頓着になる。
二人が帰ってくるころ、彼らも私たちも三十後半だ。厳密には三十八歳くらい。
そこから出会って結婚して子ども、となればかなりの晩婚だ。
私は私と子どもの事ばかり考えていて、皆に迷惑を掛けることになるのを今さら痛感している。
少なくとも四人の人生は私と玉彦のせいで狂わされた。
この償いは絶対にしなくてはならない。
きっと玉彦も同じように感じているだろうと思っていたら、夜の寝る前の会話で事もなげに稀人なのだから気にするなと言ってのけた。
お役目で命を危険に晒すよりは子育ての方が楽だと言うけれど、問題はそこじゃない。
子どもたちには世間一般の常識をきちんと教えなければ、と私は感じつつ眠りに就いたのだった。
「さてさてー。今日も一日頑張りましょうかねー」
お腹を摩って帯を叩く。
玉彦は例の買い物でマタニティウェアを買ってくれたけれど、基本的に私は着物で過ごすことに決めていた。
でも買ってもらった物は着なきゃ勿体無いので着るつもり。
もう買ってこないでね、と玉彦には伝えてある。
そもそも着物は妊婦になっても着られるつくりになっている、と竹婆は教えてくれた。
女性の着物には男性の着物にはないおはしょりがあって、これは妊婦さんのお腹が大きくなっても着られるようにと余分に設けられているのだ。
お腹が大きくなってくれば腹帯を巻けば良いだけだから、お気に入りの着物を着ていた方が気が楽だ。
ぐぐっと一伸びしてから足を踏み出すと、さっき出発したばかりの黒い車が駐車場に物凄い勢いで走り込んで来て振り返る。
忘れ物をしたにしては乱暴な運転で、怪訝な私の元へ車から降りた玉彦が駆け寄って来た。
酷く焦った様子の玉彦は私に迫って両肩を掴む。
「隠れ社が現れた。すぐに行くぞ!」
「えっえええっ!?」
手を引かれて車に押し込まれ、玉彦と同時に車から降りていた豹馬くんが澄彦さんを連れてくる。
澄彦さんは既に南天さんと午前のお役目中だったので、白い着物で前を若干肌蹴させながら駆けて来て、後部座席の私の隣へ飛び込んだ。
「須藤! 出せ!」
玉彦の声と共に車は山道を勢いよく下る。
「どこへ向かえば」
「下って左だ。急げ」
指示通りに車は進み、以前お祭り前に私と玉彦が隠れ社を見かけた田んぼの畦道で、私たち三人は車を降りた。
山を見上げれば、確かに中腹辺りが歪んで視える。
もしかしたら隠れ社は決まった道を、期間は不定期で廻っているんじゃないだろうか。
当時次代だった澄彦さんと現在次代の玉彦は隠れ社を見かけたら鈴白行脚へと出掛けるけれど、順路について深く考えたことはなかったようで、隠れ社を探すにあたっては見かけたら突入すると全くもって曖昧な作戦を立てていた。
なので澄彦さんと玉彦はお役目が終わって夕餉の時間までそれぞれお山で隠れ社を探すのが日課になっていた。
「さぁ、東さんを迎えに行くか」
澄彦さんは白い着物の袖を捲り上げてやる気を示す。
「私、全っ然心の準備が出来てなかったんですけど」
「俺と父上がいる。何とかなる」
確かに五村内で正武家の人間が二人も揃っていれば、どんな不可思議なことだってあっという間に解決出来てしまうだろう。
しかも五村の意志という存在のお墨付き。