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私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~  作者: 清水 律
私と玉彦の正武家奇譚『陸』~誕生編~
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5


「本日は屋敷の者たちが出払っておりましてね、無作法な私が淹れたもので申し訳ない」


 そう言って道彦は大きな体躯に見合わない小さなお盆の上に湯呑み二つとお茶菓子を手にして戻って来た。

 無作法だなんてとんでもない。

 夏だけれど妊婦の私の身体を考えて冷えたものではなく、飲み頃の温度まで冷まされたお茶は道彦の気遣いが窺える。

 そしてお茶菓子も甘いもの塩が効いているものと種々揃えられていた。


「ありがとうございます」


 そっと受け取った青い湯呑みは玉彦の母屋の台所にもある来客用の湯呑みで、この時代から大切に使われているものだったのかと思う。

 一息ついた私に道彦は自分もとお茶を啜り、つと庭に目を向けた。


「恐らく私の姿を見て貴女が驚いた、ということは既に私は鬼籍に入っていてお会いしたことがなかったのでしょうね。どうでしょう? 私は綺麗な生涯の幕引きは出来たのでしょうか?」


「……少なくともお役目で命を落とされたとは聞いていません」


 道彦は玉彦が小学二年生の時に亡くなった。

 さっき澄彦さんが嫁を口説いているとか何とか言っていたし、きっと十年以内に道彦は亡くなる。

 だから十年以内の寿命だけれど、ここであえてそれを言う必要も無いように思う。


 私の返事に微笑んだ道彦は、すっと口元に手を添えて先ほどよりも小さな声で神妙に囁く。


「自動車は空を飛んでいますか?」


「……ふっ、ふふ。残念ながら飛んでません。不思議なドアもないし、タイムスリップも出来ません」


「では宇宙人は」


「まだ地球に襲来していませんねぇ」


「それは残念。しかしタイムスリップ出来てしまった我が屋敷は時代の最先端だったようですね」


 子供のように道彦は大口を開けて笑い、私もつられて笑ってしまった。

 私もきっと未来から来た人間を前にしたら、自動車は飛んでる? って聞く。間違いなく。


 道彦と数分、たった数分歓談をしただけだったけれど、私は彼の言葉の端々に玉彦へと繋がるルーツを感じた。

 玉彦はお役目に関することは澄彦さんではなく、祖父の道彦の後ろに付いて基本を学んだと聞いている。

 偶数代の正武家の人間に受け継がれるものがあるので、一代飛ばしで師弟関係が築かれるのだ。

 なので奇数代の澄彦さんのルーツは水彦で、二人の無茶振りを考えれば納得して頷くしかない。

 そして穏やかな玉彦の祖父を前に、私はすっかり馴染んで大好きになった。

 出来れば曾孫が生まれるまで生きていてくれたら良かったのにな、と思う。

 四代重なることはない一族と玉彦は言っていたけれど。


「さてさて。そろそろ貴女をお帰しする算段を整えねばなりませんね。限られた時間しか居られない貴女の時間をここで使わせるわけにはいきませんから」


「限られた時間?」


 片膝を立てた道彦に問い掛けると、眉を悲しそうに下げる。


「残りは五年弱、位でしょうか?」


「あっ、ああ。私、一応惚稀人なので、死ぬまでお屋敷に居座るつもりでいます」


「っはっはっは。そうでしたか! 久方振りの惚稀人だったでしょう。後世の誰かは分からないが羨ましい子孫です」


 孫、なんですよ。その羨ましい子孫は。


 少しだけ涙を浮かべて笑った道彦は人差し指でまなじりを拭い、すっくと立ち上がった。

 そして見上げる私に手を差し出す。

 大きくて厚い手だった。


「送りましょう。惚稀人殿」


「……よろしくお願いします」


 手を乗せるとグッと力強く握られ、私はそこに籠められた道彦の思いを受け取る。


 言葉にはしない、思い。

 言葉にしなくても伝わるもの。

 もうちょっとここで道彦と話をしていたかったけれど、私の居るべきところはここじゃない。

 帰って、玉彦と過ごすこと。

 孫の玉彦に余計な心労を負わさないこと。

 それが道彦の思いだ。

 そして、子供たちを健やかに育て、正武家を繋いでいくこと。


 繋いだ手は離さず、道彦と廊下をけば、彼は私と玉彦が使用している部屋の前で立ち止まった。



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