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「玉彦は?」
「それが……」
なぜか苦笑いをした須藤くんが起き上がり、座ったまま私と那奈を見上げた。
「お役目がちょこっと長引いたみたいで、帰宅までに三時間だって」
「長引いた?」
那奈と首を傾げると、須藤くんは気まずそうにぽりぽりと人差し指で頬を掻く。
「玉彦様に鬼役を引き受けて貰ったでしょ?」
「まぁ、不本意ながら」
「歌ってたヤツ、次の鬼役の玉彦様のところへ『本当に』飛んで行ったみたいなんだよね……」
「……それは、ご愁傷さまってやつだわね……」
次も歌えると愉快気に飛んで行った声の主はその先に玉彦が居て、歌ったのだろうか……。
いや、歌えたのだろうか……。
弱小な禍は玉彦に近付いただけで自動的に祓われてしまう。
ちょこっと長引いたということは、自動的に祓われずに宣呪言で祓われたのだろう。
「もうお役目が終わって三人で車に乗り込もうとしたら、玉彦様の後頭部に物凄い勢いで飛び込んできたらしいんだ。豹馬が爆笑してた」
「……多門も爆笑したんでしょ?」
「……うん。腹抱えて転げ回って、玉彦様に一撃喰らったみたい」
三人で場面を想像して、なんとなしに笑いが起こった。
「玉彦様、鈴が鳴らされて酷く心配されているから部屋に戻ったら電話してね。一応僕からも説明はしてあるけど」
「わかった。須藤くん、玉彦になんていうかその、怒られなかった?」
「特には……。新しい掛け布団を用意しておくようにってことくらいかな」
「澄彦さんにも?」
「うん。ただ南天さんにそう言う場合は、まず会合場所に電話すれば誰かが必ず対応に出て、澄彦様や南天さんに伝わるから、次からはテンパらずに冷静に動きなさいって……」
須藤くんが肩を竦めると、那奈も同じ動きをする。
「そこね。私も蓮見とか松梅コンビに連絡して竹様をお呼びすれば良かったなって反省!」
そして私も肩を竦める。
「私も一人の時は鈴と御札は持ち歩くことにする。反省!」
翌朝。朝餉の席。
昨夜急遽お屋敷に戻った澄彦さんと南天さんは玉彦の母屋を訪れて、私の具合を確認してから表門へと向かい、一つの答えを導き出していた。
私は澄彦さんの結論を聞こうと待っていたのだけれど、自分でもびっくりするくらい気が抜けてしまっていたらしくそのまま眠ってしまい、玉彦が帰宅したことにすら気が付かなかった。
目が覚めたのはいつも通りの朝の時間で、何を考えていたのか寝ている私を正座して凝視していた玉彦の視線を感じてだった。
つつがなく朝餉をいただき、今日も雪がチラつくと澄彦さんが湯呑みの湯気に目を細める。
「澄彦さん、昨日のって」
いつまで待っても昨日のことを話し出してくれない澄彦さんに尋ねると、玉彦と目配せをして障子の向こうを見るように顔を向けた。
「あれはきっと『流れ者』だろうね」
「それって子どもを、ってことですか?」
「うーん。ちょっと違うかな。昨夜のはたまたまそうだったみたいだけれどね。流れ者ていうのはそのまんま、流れていく者。どこからかやって来てどこかに行ってしまう、土地に縛られない者だ。たまぁに五村にも来るけれど、昨日の奴は屋敷に現れた時点で年貢の納め時だったんだろうね」
肩を揺らした澄彦さんは不本意ながら鬼役となった息子を見やり、年貢を後頭部に納められた玉彦はムスッとして眉間に皺を刻む。
朝餉の前に昨夜の話を玉彦として、祓った事をあっさりとだけ教えてもらっていたけれど、祓うに至るまでの過程は玉彦にとって腹立たしいものだったらしく、多くは語らなかった。
まぁ、豹馬くんと多門が爆笑した、というくらいだから笑われた玉彦は面白くなかったのだろう。
「比和子は別の流れ者に会ったことがあるであろう?」
「え、そんなことあったっけ?」
私がそう言って考え込むと、玉彦は自分の眉間の皺を指先で解す。
「猫又の玉尾。あれも流れ者である。それと神落ちも流れ者だ。人を害する者も在れば友好的な者も在る。基本、五村を通過するだけならば放っておくが昨夜の者はなんとも怪しからぬ者だったな」
「ほんとだよ。比和子ちゃんに絡むとは全くもってけしからん!」
珍しく意見が合った親子は、呼吸を合わせたかのように湯呑みに口を付けた。




