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「それって本当に玉様の御札? 色、違くない?」
「ちょっとね、特殊な札なんだ」
「それにもう半分黒くなってるじゃんか……」
「良いんだ。黒くなっていても。大事なのはこの札にある玉彦様の血、だから」
二人の会話を聞いていて、須藤くんが文机から持ち出したのはいつもの御札ではなく、先日信久さんが返しに来た薄紫の御札であることが私には解った。
薄紫の御札には玉彦の血で文字が書かれている。
その効果は絶大で、普通の御札ではすぐに効果が切れてしまいそうな禍に対しても渡り合えるお力が宿っていた。
澄彦さんが怪我をして治療した際に血が滲み込んだガーゼを持っていたが為に隠れ社に東さんが迷い込んでしまったくらい、正武家家人の血というものはお力がある。
須藤くんは私の頭を持ち上げ、寝間着の襟足に御札を差し入れた。
「上守さん。あぁもう歌が始まっちゃったか。次の歌で決着をつけよう。次に後ろの正面を聞かれたら、玉彦様の名前を言うんだ。いいね? 正武家玉彦、というんだよ?」
「えっ、須藤それって……」
「札には玉彦様の血がある。形代と言ってもいい。玉彦様に鬼役になってもらう」
「玉様なら比和子の為に鬼役も引き受けてくれるとは思うけど、大丈夫なの?」
「たぶん……」
「そこは大丈夫だって胸を張れよっ! 馬鹿!」
那奈の罵声に肩を竦めた様子の須藤くんは私の首筋を片手で支え、鈴を振る手を握った。
「また歌が始まった。タイミングは良い?」
こくりと頷くと、須藤くんはもう何も言わず耳を澄ませ、那奈も黙り込んだ。
何十回も聞かされ続けていたわらべ歌が佳境へと差し掛かる。
『つーるとかーめーがつーべったー うしろのしょうめん だぁれ?』
「正武家玉彦っ」
『……』
「……正武家玉彦」
『……あーたーりー』
たっぷりとタメを作った声の主は愉快気に正解を告げ、私は須藤くんの手を枕にがっくりと力が抜けた。
冷え切った身体を起こせば、須藤くんは直ぐ様掛け布団で私を包むとそのまま持ち上げて那奈を連れてお風呂場へと駆け込んだ。
私と一緒にお風呂へ入る様に那奈へと指示した須藤くんは脱衣所を出て待つ。
那奈に手伝ってもらって濡れそぼって土に塗れた寝間着脱ぎ、どぼんと檜の湯船に飛び込む。
身体の芯まで冷え切っていたけれど、徐々に体温が戻り、私は天井を見上げて安堵の溜息を洩らした。
一緒に浸かった那奈は私の指先をずっと擦り、良かった良かったと半べそをかいていた。
もし那奈があの場に来なかったら、どうなっていただろうか。
須藤くんだけではきっと襖は開けなかったことだろうと思う。
「那奈。ありがと、来てくれて」
「水臭いこと言ってんじゃないわ。私は全然聞こえないし視えない感じない鈍感な人間なんだから、さっさと私の名前を言えば良かったんだよ。妊娠してないし、無くすものなんてないんだから」
「そんなのできるはずない。那奈の命が取られちゃったかもしれないじゃん」
「馬鹿比和子……」
二人で見つめ合って、助かったことに涙腺が緩みまくり、かなりの長風呂をしてから上がると、廊下では須藤くんが正座をして待っていた。
「須藤くん、ありがとう、気が付いてくれて」
がくりと首を項垂れた須藤くんは、遅れてすみませんと謝ったけれど、まさか部外者も滞在していないお屋敷で私に危機が迫っていると普通は思わないだろう。
それでも何かの違和感を感じ取って来てくれたのだから、謝られる必要はない。
「そんなことないよ。謝らないで。来てくれて助かったもん」
「……身体は」
「平気、大丈夫。さっきもお腹、動いたから子どもたちも元気」
「そっか、そっかぁぁあ~」
廊下に横滑りして倒れた須藤くんの右手にはスマホが握られていて、私が連絡は付いたの? と聞けば玉彦にも南天さんにも報せは届けられたようで、澄彦さんがもうすぐ帰宅するそうだ。
泊りの予定を切り上げて、念の為に私の身体にまだ何か残ってはいないか確かめるためだそうである。




