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須藤くんと二人だけの夕食と思いきや、今晩は離れの事務所で一人で当直をする那奈がおにぎりとカップラーメンを持ってやって来た。
普段は母屋の食事は当主次代と私、稀人だけで、離れの松梅コンビや本殿の巫女たちは別の竈で自分たちの食事の準備をするのが決まりとなっていた。
しかし今夜は松竹梅三姉妹は梅さんの家に行っており、そして香本さんは実家に帰っていた。
高田くんは通常業務を終えて帰宅。
那奈はお屋敷に住み込みなので自動的に当直の役目となっていた。
一人でご飯も寂しいし、先ほどからしとしと降り出した雨の雨足が激しくなってきたので心細くもあったようだ。
「味、薄!」
「文句を言うなら食べるなよ。勝手に人のおかずを抓んでるんだから、黙って食べろ」
「てゆーか那奈。こっちに来てて大丈夫なの? 急なお客さんとか電話とか」
「あーうん。大丈夫。こんな天気で誰も来やしないって。電話はこれに転送されるから」
そう言って那奈はテーブルに置いていたスマホを指差した。
「え、転送できるの? 事務所の電話ってそんなハイテク?」
「ハイテクってあんた……言葉が古い。松さんがいっつも私がスマホいじってるから転送すればすぐに出られるでしょうって付けてくれたのよ。お陰でたまに休みの日にまで転送されてくることあるんだよね」
鼻の上に皺を作って須藤くんの小鉢から勝手にほうれん草のおひたしを一口那奈は盗んだ。
須藤くんはもう彼女の箸を叩き落とすことをすっかり諦めているようである。
こうしてみると須藤くんと那奈は普通に仲が良い。
同級生ってこともあるし、職場の仲間ってこともあるから当然かもしれないけれど。
高校生の時、那奈は須藤くんの事が好きだった。
結構あからさまだったので須藤くんも知っていた。
けれど二人の関係はそれ以上に進むことは無かった。
那奈が告白をしてフラれたって話も聞かなかったし、その後那奈はお付き合いしている人が何人も居たので、須藤くんへの想いはすっぱり断ち切ったのだろう。
それでもこういう風景を見ていると、那奈は想いを表さなくなっただけでずっと初恋を大切にするように秘めているんじゃないのかな、とも思う。
思うけど聞けない。聞かない。気付かないふりをするっていうのも人間関係を円滑にする時には大事なのだ。
「玉様、夜中に帰ってくるんだよね? ということは今夜は徹夜かー。早く帰って来てくれないかなー」
那奈は私とは別の意味で玉彦の帰りを待っているようである。
食後に出されたお茶を片手に那奈は須藤くんにデザートは無いのかと要求して、須藤くんは冷蔵庫を覗いてからフタに『たもんの!』と書かれているプリンを差し出していた。
きっと後で多門が騒ぎ出すぞーと思いながら隣で至福の時を過ごす那奈を見る。
化粧っ気が無いように見えてしっかりとアイメイクだけはしているあたり抜かりが無い彼女も今年で二十五歳。
そろそろ結婚を意識する年頃なのに那奈にはその気配が感じられなかった。
「那奈ってさー、今彼氏いるの?」
「はぁ? 居ないけど、なにか?」
若干喧嘩腰で答えた那奈はスプーンを咥えて私を下から恨めし気に睨む。
「いやぁ、さっきも須藤くんと話をしてたんだけどさ。須藤くんとか多門のとこにお見合い写真来てるじゃん? 那奈のとこも来てるの?」
正武家に勤める稀人にお見合いが殺到するのなら、同じく事務所に勤める那奈にだって来ていてもおかしくはない。
そう思って聞いてみたが、どうやら私の予想は外れたようで、那奈は首を横に振った。
「来てないよ。二十歳までは会社の社長とかすごい持ってきたけど、二十一越えたら全く」
那奈は二十二歳からそれまで勤めていた建設会社の事務を辞めて正武家に勤め出していたけれど、恩恵はないようだ。
「男ってやっぱり若い女が良いのかねぇ?」
那奈から矛先と視線を向けられた須藤くんは、曖昧に笑う。
「そういう男もいるけど、そういう男ばかりではないんじゃないの?」
「須藤は?」
「僕? 僕はもう別にこだわりは無いかな」
「もうってことは昔はあったってことか。ほんっと男ってやつはー。このままだと松梅コンビと同じ道を辿りそうで怖いわ、私」
「香本さんだって竹婆と同じ道じゃないの」
「だって蓮見は巫女様だもん。あのまま処女を貫いて死んでいっても本望でしょ」
那奈がさらりと言えば須藤くんは口を付けていたブラックの缶コーヒーを少しだけ噴き出した。
ついうっかり女子ならではの話になってしまい、ここに須藤くんがいるのにあまり意識していなかった。
那奈の膝を揺すって話題を変えるわよ、と目配せをして頷き合い、軌道修正を図る。
「結婚しなくても正武家で働いていれば老後は安泰なんだし良いじゃない?」
「それはそうだけどさー。一回くらいはしてみたいじゃん、結婚」
「鰉は正武家様から離れる予定はないの?」
これまであまり話に入って来なかった須藤くんがふと那奈に尋ねた。
「ないね。ない。絶対にない。五村で正武家様以上の働き先なんてないもん」
それに、と続けた那奈が言うには、結婚を機に正武家の事務所を辞めればまだ変な噂は立たないけれど、もし結婚もせずに事務所を辞めたなら待っているのは『正武家様をクビになった女』といレッテルだけだそうで、そうなれば嫁ぎ先もなければ働き先もなく、五村から出て行くしかないと言い切った。
「正直言えば結婚しても正武家様で働きたい。だから家業を手伝えとかいう男は無理。次男坊か三男坊の気楽な男で跡継ぎ問題がない男が良い!」
「でもさ嫁が正武家様で勤めております、って言いたがるのは大体長男の親だよね」
「そうなの! でもねそれ以前にね、出会いがもうここでは無いのよーーーーーーー!」
プリンを食べ終わってスプーンを握ったままテーブルに突っ伏した那奈の後頭部をしげしげと眺めた須藤くんは、ぽんっと彼女の頭に手を乗せた。
「長男だけど継ぐべき家業が無い、職場が同じだから仕事を辞めろと言わない男がここに居るけど」
「えっ!?」
「はぁっ!? 須藤!?」
私たちの驚き様に笑った須藤くんは、顔だけ上げた那奈を覗き込んだ。
「ただし結婚できるのは十三年後。もう四十手前だけどね。流石にそこまでは鰉も売れ残ってはいないだろ」
あはは、と笑って後片付けの為に台所に立った須藤くんの背中を見て、私と那奈は顔を見合わせた。
「須藤の、冗談、だよね?」
「そうだと思うけど……。冗談なのか本気なのか慰めなのか天然ボケなのかわかんない……」
私がそう言うと那奈は再び顔を伏せた。




