序 始まりの記憶
リュミネーヴァ・レ・レイ・ローゼン。
私の名。
このエレデア王国において、王家に次ぐ地位を約束された公爵家の一つ、ローゼン一族の令嬢。
黒が艶めく長い髪と、嘘を簡単に暴くであろうその漆黒の瞳。
見つめられたが最期、とらえてはなさない闇の誘惑。
品行方正、成績優秀。
魔法を得意とする血脈に生まれ、非の打ちどころがない。
まさに正真正銘の貴族令嬢。
驕りではなく、客観的かつ冷静に己を分析。
ーーなのだが。
ここで問題がひとつ。
「て、転生……ってやつ?」
十二歳の誕生日、それは豪勢なパーティが催され、おまけに次代の王妃確定ルートである第一王子との婚約も発表された。
浮足立った自分は、自室へと戻り、椅子に腰掛け、侍女の用意したおいしい紅茶の入ったティーカップを満足そうにながめた。
その紅茶が映し出す漆黒の瞳をみた瞬間。
突然、頭の中に様々な情報が流れてきた。
ーー前世は日本という国に住んでいたこと。
仕事は化粧品会社の事業のひとつ、フェイシャルエステサロンで働いていたこと。
プライベートでは一人でゲームや漫画を読むことが好きだったこと。
それまで特筆するようなことはなく、普通の生活を送っていたこと。
そしてある日、『その普通』が壊されたことーー。
「最期の記憶……、あれは」
サロンは午前十一時から、二十時まで営業。
片付けなどを含め、遅番の定時は二十一時。
その日遅番だった自分は残業で、二十四時に自宅付近を歩いていた。
その帰り道に、前世の自分は恐らく……、殺された。
光の少ない中で、必死に抵抗した。
何もわからない暗闇のなかで、相手の瞳がいやに目に焼き付いた。
下卑たそれは、己の欲望を存分に前世の自分にぶつけ。
衣服も乱れ、素肌が露わになりながら。
これから起こる『最悪』を避けるために。
最後の力をふりしぼり、助けを求める声をあげようとした……その瞬間。
喉元に違和感を感じ、ーー意識を手放した。
それが、あちらの世界での最期の記憶。
「きょ、強烈すぎる……」
そもそも転生という事実だけでも受け入れがたいものだが。
不慮の事故だとか、病だとか。
そうではなく、他人からの理不尽による、死。
「思い出すのもーー」
つらい。
そう呟く前に、自室の扉より音が聞こえた。
「リュミ? 起きているかい?」
良く知った低く落ち着いた声……、あちらで言うなら『イケボ』の声。
リュミネーヴァの兄にあたる、エルドナーレだった。
「っ!? エル、お兄様? どうぞ、いらして」
とんでもない記憶を思い出した矢先、この世界での『自分』という存在はもちろん確立されていて。
過去に引っ張られる前に冷静をとりもどし、即座に対応する。
我ながら、すばらしい対応力。
しかし、ひとつだけ覚えのない違和感があった。
(私……、今。震えた?)
いわゆるシスコンといっても差し支えない兄、エルドナーレ。
リュミネーヴァたる自分と同じ漆黒の髪と瞳をもち、他のご令嬢からの覚えもめでたい整った顔立ち。
おまけに次期公爵家の当主。
自慢の兄、ってやつだ。
そんな彼に呼び掛けられ、喜びに震えるならまだしも。
……恐怖を、抱いた?
「リュミ、夜分にすまないね」
すらりとした好青年が、扉に手をかけ部屋へと入ってくる。
四つ年上の兄は、それだけで大人びて見えた。
だが、彼が大人であるからだとか。
理由なき叱責を受けたとか、恐怖を抱くことなどこれまでなかった。
(なんで……、どうして怖いの)
彼が近づくたび、身が震えるのが分かる。
心では理解しているのに、身体が勝手に反応する。
そんな感じだ。
「リュミ……?」
はっとしてその瞳をみれば、あの時にみた『それ』と重なった。
「……! お、お兄様。ごめんなさい、私、さきほどから気分が優れなくて……」
「! 気付かずにすまない、また明日出直すよ。主治医を呼ぶかい?」
「いいえ。恐らくライエン様との婚約発表を経て、緊張の糸が切れたのですわ。どうぞお気になさらないで」
「そうかい? ……心配だけど、夜も遅いしもう休むといい。また、明日」
「ええ、また明日に」
心配そうに振り返りながらも、部屋を退出してくれた兄を微笑みながら見送った。
「どうしたもんか」
リュミネーヴァとしての立場や前世の接客業を通じて、割と予想外の出来事に対する耐性は持っているつもりだ。
だが、さすがに命を脅かすほどの出来事というのは、心に深く傷を落としたようだ。
「……そんでもって、もうひとつ」
冷静に、なるべく冷静にどこか他人行儀に自分を見つめなおしてきたが。
これだけは冷静で居られない。
「ここ! 乙女ゲームの世界だよね!?」
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