第9話 学校の怪談的な階段
ベルスはシーフが持っている警戒スキルをフル活用しながら慎重に校舎内を進む。
あれだけ用心深く進まれたら怨霊の力を持ってしても殺す事は簡単ではなさそうだ。
しかし彼らにはもはや入り口や窓から外に出るという考えはない。
これは好都合だ。
俺は二人を殺す為に多くの霊力を消費した。
怨霊は恐怖心を糧にしているが、人間が食事をした後に消化して栄養を取り込むまで時間がかかるのと同じで直ぐに力を取り込める訳ではない。
霊力を回復させるのには半日程の時間が必要だ。
今朝から力を使っていない愛と由美子ちゃんは万全の状態だけど、いたずらに力を浪費するのは愚策だ。
俺は力の回復を待ちながら彼らの監視を続ける。
ベルスとトリスは校舎の行き止まりにある上り階段を上がり、校舎の二階へとやってきた。
このまま屋上に出ればそこから脱出できるかもしれない。
このまま彼らが逃げようとするのを黙って見ているのも芸がないので、折角だから彼らを怖がらせる事にした。
ベルス達が音楽室の前を通りがかった時だ。
ポロン……ポロン……。
無人の音楽室の中からピアノの音が聞こえてくるのは学校の怪談話ではお約束である。
ベルスとトリスは足を止めて様子を伺う。
「ベルスさん、何の音でしょう?」
「これも楽器……か?」
異世界にも鍵盤楽器は存在するので二人はすぐにこれがピアノの音であると気付いた。
「なあトリス、さっきの部屋には笛があっただろ。ひょっとするとこの建物はどこかの楽団が使っていた施設だったんじゃないか?」
「すると俺達を襲っているのは演奏者のゴーストという事ですか?」
ベルスとトリスは少ない情報を頼りに思考を巡らせるが全くの的外れだ。
「この部屋の中から聞こえてきます。どうします?」
「罠かもしれんが……調べない訳にはいかないな。行ってみよう」
ベルスは慎重に扉に触れ、罠がない事を確認すると扉を蹴破って中に踊り込んだ。
部屋の中には朽ち果てたグランドピアノがあり、その周囲に椅子が散らばっていた。
人の姿はない。
さっきまで聞こえていた音ももう聞こえない。
ベルスはゆっくりとピアノに近付いて調べるが、どこにでもある普通のピアノだ。
しかし長く調律をされていなかったこのピアノは、彼らが鍵盤に触れても音は出なかった。
「この楽器の音じゃなかったのか……じゃあさっきの音は一体?」
ベルスは音楽室内を見回す。
「うっ!?」
ベルスとトリスは音楽室内の壁に並んで貼られていた音楽家達の肖像画を見て息を飲む。
「は……はは、ベルスさん、ただの絵ですよ。変わった髪型してますね……わっ!?」
音楽家達の顔の中に、昨夜死んでいったバートンやキンメル達の顔が紛れていた。
その目はかっと見開かれ、不自然に開いている口はまるでまだ生きている自分達にも早くこっちに来いとでも言いたげな様子だ。
「まさか……この人達は全てゴーストに殺された犠牲者なんじゃ……」
「トリス、この部屋は危険だ、早くここから出るぞ!」
「は、はい……」
ベルスとトリスの二人は勝手に勘違いをして震えながら音楽室を飛び出していった。
彼らの恐怖心によって、俺達はおやつを食べた程度の軽い満腹感を覚えた。
ベルスとトリスは息を切らせながら更に奥にある階段を上り校舎の屋上を目指す。
それを俺達は残念そうに眺めていた。
「人体解剖模型とか、骨格模型とか、もっと怖がらせるネタが沢山あったんだけど、すっ飛ばして先に進んじゃったな」
「もう、詩郎君が驚かせすぎるからだよ。何事も程々にしとかないと」
「無茶言うなよ、愛。今のは不可抗力だ」
「それにしても詩郎君ってピアノが下手ね」
「うるさいな。あいつらを怖がらせる為にあえて不気味な不協和音を鳴らしたんだよ!」
「はいはい、そういう事にしとくわ」
ベルスとトリスは三階から更に屋上へと続く階段を上る。
その時、彼らの目に一体の白骨死体が目に入ってきた。
「ひっ……」
「こんな所にも犠牲者が……」
その白骨死体は階段の最上段で屋上へ出る扉に手を伸ばしながら息絶えていた。
ここから脱出しようと階段を上ったところで力尽きたであろう事は容易に想像ができる。
ベルスとトリスは名前も知らないその犠牲者に向けて両手を合わせ弔いの意を表する。
しかしそれは俺達の復讐心にとって火に油を捧ぐ結果になった。
この死体の生前の名前は石川 高子。
鈍異学園の新任教師だった。
異世界からの呪いが俺達の村を襲ったあの日、熱狂的なキリシタンだった宿直の石川先生はいつも手にしていた十字架に宿った加護のおかげか、狂気にかられる事なく正気を保っていた。
石川先生はおかしくなった大人達から身を呈して俺達を守ってくれたが、その時に大怪我を負ってしまった。
俺達が森の中に逃げて行った事を確認した石川先生は今度は自分の身を守る為に校舎内に逃げ込み、全ての出入り口に施錠をして籠城した。
校舎の周りは暴徒達に包囲され、いつ内部に侵入されるか分からない。
石川先生は少しでも遠くに逃げようと足を引きずりながら階段を上り、屋上に出る直前で力尽きそのまま息絶えた。
死後魂となった石川先生は同じく死んで霊魂となった俺達と再会し、「生徒を守るのが教師の役割なのに守ってあげられなくてごめんね」と涙を流して何度も謝罪を繰り返しながらあの世に旅立っていった。
先生は何も悪くないのに。
先生を殺したのは俺達じゃない。
お前達だ。
お前達に先生を弔う資格はない。
お前達も先生と同じ苦しみを味わえばいい。
しかし愛が俺を制止するように前に出てきた。
「愛? どうして止める?」
愛は首を横に振って答えた。
「詩郎君、さっきから霊力を沢山使って疲れてるんでしょう? 私がやるわ」
ベルスが石川先生の白骨死体から目を離し、屋上の扉に手を掛けた時だ。
扉に向かって延びていた石川先生の腕が不気味に動き出し、ベルスの足首を掴んだ。
愛の霊力によるものだ。
「うわっ!?」
ベルスは悲鳴を上げながら石川先生の死体を注視する。
「こいつまさか……アンデッドか!? くそっ、油断をした!」
ベルスは石川先生の死体をゾンビか何かと誤認し、手にした短剣で腕を切断して逃れようとするが一瞬遅かった。
ベルスが石川先生の腕に引っ張られた先は階段だ。
しかも経年劣化でボロボロになっており、床板がささくれ立っているところも多い。
そんなところから転がり落ちれば人間の身体がどうなってしまうかは想像に難くないだろう。
まるで大根おろしの滑り台だ。
ベルスは受け身も取れないまま少しずつ身体を削り取られながら階段を転げ落ちていった。
「ベルスさん!」
トリスが悲鳴にも似た声を掛けるがベルスからの返事はない。
当然だ。
身体のあちこちを削り取られ、赤いボロぞうきんとしか形容しようがない姿になった彼を見て生きていると判断できる者はいないだろう。
「あ……あああああああ!!!」
トリスは変わり果てたベルスの姿を直視できず、泣き喚きながら屋上の扉を開けて外に逃げ出した。
「詩郎お兄ちゃん、あの男の人はどうするの? 殺す?」
由美子ちゃんが俺の顔を覗き込みながら問いかける。
俺は答えた。
「今彼を殺してしまったら勿体ないよ。この中で起きた事を……その恐怖を仲間に伝えて貰わないとね」
「そっか。うん、分かった」
横を見ると、愛が石川先生に手を合わせて呟いていた。
「石川先生、あの男の命は私達からの手向けです」
「愛……」
「愛姉ちゃん……」
俺達は愛に倣って石川先生の屍に手を合わせ黙祷を捧げた。




