第2話 俺達は現世を彷徨った
山中にひっそりと佇む鈍異村で俺小山内 詩郎は生まれ育った。
江戸時代に隠れキリシタンによって築かれたこの村は近隣の村々との交流も殆どなく、戦時中はこの村の存在を知る僅かな人々が疎開の為に住みついた以外は殆ど人口の増減がない閉ざされた村だった。
昭和二十一年、戦争の記憶がまだ新しかったあの頃俺達の村の住民は人知れず死に絶え、廃村となった。
令和三年の今、長く忘れられてきた俺達の村が一大センセーションを巻き起こしている。
偶然俺達の村の跡を発見した登山家によって、鈍異村の存在が七十五年ぶりに世に知れ渡ったのである。
終戦から一年後、突如として住民が死に絶えた呪われた村。
連日テレビや雑誌ではオカルトめいた話題で持ちきりだ。
疫病、天災、集団自殺、有識者達は様々な原因を考え発表したが、未だにどの説も決定的な証拠は見つかっていない。
「詩郎君、あなたも良く飽きないわね」
街頭テレビを眺める俺に声をかけるのは幼馴染の少女、北野 愛だ。
「由美子ちゃんもそろそろ向こうにいこうって言ってるよ」
年下の櫛引 由美子ちゃんは最近つれない。
今にも俺達を置いて遠い所へいってしまいそうだ。
俺達三人は鈍異村の最後の住民だ。
七十五年前、俺達の村は狂気に見舞われた。
大人達は突如キツネでも憑いたように暴れ出し、無差別に殺し合いを始めた。
俺達は必死で逃げたけど大勢の大人の足から逃げられるはずもなく一緒に逃げた友達は一人また一人と捕まり刺殺され、撲殺され、斬殺され、絞殺されていった。
俺は目の前で友達が大人達に殺されている間に辛うじて森の中まで逃げのびたものの、すでに腹部に深い傷を負っておりそのまま激痛に苦しみながら人知れず死んでいった。
俺が村の大人達に襲われた時の光景は鮮明に脳裏に焼き付いている。
正気を失って暴れまわる大人達はまるで何かの呪いの様に禍々しい黒い靄に包まれていた。
あれが何だったのか知る術もないまま俺は死んだ。
俺だけじゃない。
結果的に全ての村人が死に絶えてしまった。
死んだ瞬間魂が肉体から分離する。
安らかに天寿を全うした者はそのまま成仏するが、この世に未練がある者は死後幽霊としてこの世界を彷徨う事になる。
俺が死んだ直後は俺と同じく幽霊になった友達や両親を含む大人達と再会する事ができたけど、大人達は口を揃えてその時の事を覚えていないと言う。
自分の身に何が起きたのかは気になるけど、死者がいつまでも現世に留まり続けても仕方がないと村の皆は次々と俺を置いて成仏してしまった。
「向こうで待ってるから気持ちの整理がついたら来てね」
とは俺の母親が成仏する前に俺に掛けてくれた言葉だが、あれから何十年も俺の魂は現世に留まり続けている。
どれだけ経っても気持ちの整理なんかつくはずがない。
あの日俺達の村に一体何があったのか。
俺達はどうして死ななければならなかったのか。
俺はそれが知りたかった。
愛と由美子ちゃんも俺と同じ気持ちだった。
俺達三人は幽霊としてこの世界の留まり真相を探り続けた。
幸い俺達は自縛霊にはならず、浮遊霊として村の外に出る事もできた。
しかし町に下りても霊感がある一部の人間以外は霊体となった俺達の姿は見えないし、話す事もできない。
仕方なく手当たり次第町の人々に近付いて噂話に耳を傾けたが、そもそもが世間に存在を知られていない村だ。
鈍異村の事を話している人間には出会えなかった。
それどころか新聞やラジオでも鈍異村の惨劇について何一つ報道されていなかった。
ある時は浄霊を生業とする霊能力者によって強制成仏をさせられそうになった事もある。
志半ばで成仏させられるなんて御免だ。
俺達は必死で逃げた。
死んでからも何かから逃げなきゃいけないなんて滑稽だと思った。
そして気がつけば七十五年の歳月が過ぎていた。
霊魂となった者は霊体の見た目は勿論、精神も成長する事はない。
俺達はずっと死んだ瞬間の姿のままだ。
正確には幽霊は自らの意思で一時的にある程度姿を変えられるが、代償に霊力というものを消費する。
霊力とは霊体そのものが持つエネルギーだ。
これが尽きると霊魂はこの世界から消滅してしまう。
その為多用はできない。
幸いこの世界では俺達のグロテスクな姿を見る事ができる人間は限られているので、霊能力者にさえ気を付けていればそれでも特に問題はない。
そんなある日ひとりの登山家によってついに俺達の村の存在が世に知られる事となった。
村のあちこちに散乱している損傷の激しい白骨死体を、テレビや雑誌などのメディアは終戦直後に謎の悲劇に見舞われた呪われた村としてまるでホラー映画のワンシーンのように報道した。
しかしテレビに出てくるコメンテーターの発言はどれも的外れなものばかり。
こんな調子ではもうこれ以上待ち続けても真相には辿りつけない。
いつしか俺は諦めに似た感情を覚えた。
「もう十分でしょ。そろそろ天国に逝こうよ」
いつの間にか隣にいた由美子ちゃんが催促をする。
幽霊というものは神出鬼没だ。
同じ幽霊でも驚く時がある。
「そうだね……」
俺達は十分頑張った。
そろそろ大好きだった両親や友達のいるあの世に行こう。
俺は街頭テレビから目を離そうとしたその時だった。
「スクープ、呪われた鈍異村の真実がついに判明!」
テレビの画面にはでかでかと今まで何度も騙され続けてきた視聴者の興味を引く為に考えられた大袈裟な煽り文句が表示される。
どうせこれが最後だと思い俺達は無い足を止めてテレビに注目する。
「この番組は月刊ラムーでお馴染みのアイン・パブリック社の提供でお送りいたします」
如何にも胡散臭いオカルト番組だ。
しかしその番組の内容は俺達をうならせるのに十分だった。
番組の進行役である浪岡 瑠人氏はオカルト雑誌の金字塔である月刊ラムーの編集長だ。
どこで入手したのかよく分からない怪しげな資料が順番にテレビ画面に表示される。
「──という訳で、こことは異なる世界、いわゆる異世界が存在するのです」
「すると、浪岡さんは鈍異村の住人が死に絶えたのは異世界からの侵略が原因だと?」
「はい。皆さんは信じられないかもしれませんが、確かに異世界はあります。ご覧下さい。これは先日番組のヘリが上空から村全体を収めた写真です」
俺達の村全体が映された航空写真がテレビいっぱいに表示される。
七十五年という歳月の間に建物はほとんど朽ち果て、村中が植物に飲み込まれていっているが、村長の家を中心にして、籠目の紋様──いわゆる六芒星──を描くように道路が走っている特異な村の形状がはっきりと見て取れる。
浪岡氏は話を続ける。
「この写真の端っこをご覧下さい。何が見えますか?」
俺達は浪岡氏の言葉に耳を傾けながら写真の端を見つめる。
そこには見覚えがある黒い影が見えた。
忘れもしない、あの日おかしくなった大人達を包んでいた黒い霧だ。
遥か昔に止まっているはずの俺の心臓の鼓動が大きくなった気がした。
番組のゲスト達は薄ら笑いを浮かべながら呑気なコメントをしている。
「何ですかねこれ? ヘリの影とか?」
「実は写真を加工したとかのオチは止めて下さいよ」
話半分に聞いているゲストとは対照的に浪岡氏は真剣な表情で解説を続ける。
「これはヘリの影でも加工でもありません。皆さんは呪いというものを信じますか?」
「呪いですか。オカルト番組らしくなってきましたね。まあ日本人なら信じる人もいるんじゃないですかね? 丑の刻参りとかありますし」
「ええ、確かに呪いは存在するのです。我々月刊ラムーの編集部は今まで古今東西の様々な呪いを調べてきましたので直ぐに分かりましたよ。この黒い影は間違いなく当時この村を襲った呪いの残り香です。しかし世界中で確認されているどの国、どの民族の呪いとも波長が違う」
「浪岡さん、つまりそれはどういう事ですか?」
「はい、これは我々の世界とは異なる場所からもたらされた災厄です。異世界としか考えられません」
わざとらしい「ええーっ?」という音声素材が流れるが、ゲスト達の中には如何にもばかばかしいといわんばかりに失笑している者もいる。
「それは世紀の大発見ですねえ。おお怖い怖い」
「私達は何か異世界人を怒らせるような事をしちゃったんですかねえ? 首相に謝罪して貰えば許してもらえますかね。なんちゃって、あははは」
「でも七十五年も前のお話ですよね。もう時効ですよ時効」
真剣に解説をする浪岡氏に対して、ゲスト達は如何にも冗談めいた反応をしている。
それが普通の反応だろう。
でも俺は違った。
何よりもあの黒い影を実際に間近で見ている。
死んで幽霊になって様々な事を体験した事で、生きていた頃に見ていた物や感じた物がこの世界のほんの一部に過ぎなかった事を理解している。
そんな俺から見て浪岡氏の解説には信憑性がある。
俺と愛と由美子ちゃんの三人はテレビに釘付けになっていた。
「異世界? 侵略? 俺達はその為に殺された?」
俺の心がどす黒い何かに汚染されていくのを感じた。
「ユルサナイ……」
「詩郎君?」
「……愛、由美子ちゃん、もう逝こう。本当に異世界の人間が原因ならこの世界に留まっていても永遠に……オレタチノウラミハハラセナイ」
「詩郎君……」
異世界人への怨みの念と共に俺達の霊魂と意識はこの世界から溶けるように消えていった。
次に俺達が気が付いた時には光に包まれた神々しい空間にいた。