感覚的な数字
人には理解できる数字と理解できない数字がある。
大きすぎる数字もわからないし、小さすぎる数字もわからない。
結局のところ自分の理解できる数字しかわからないのだ。
多くの場合数字はゼロから始まる。
だからみんな大体ゼロはわかる。
そして徐々に増えていくから小さい数字もわかる。
だからわからないのは大きな数字だ。
いきなり百万なんて言われてもわからないだろう。
いきなり百万と言われて理解できるのは百万を体験したことがあるものだけだろう。
子供が百万円を稼ぐ大変さが分からないように、自分が到達した数字までしか人間はわからないのである。
もし、体験していなくともわかるというのであれば、それはきっとわかっているつもりになっているだけかもしれない。
座学や歴史は確かに危険から身を守ることや新たな可能性を探すことにおいては優秀である。
しかし、座学や歴史から正確に物事を読み取れる人間は稀だ。
ほとんどの人間は実体験からしか理解できないことが多い。
理論で火災に対する知識を付けた人よりも、一度家が燃えた人のほうが正しい対処ができたりするように、どの程度のことが必要なのかは体験することが手っ取り早い。
程度というと感覚的な気がしてくるが、別に数字で表せないわけではない。
プロの料理人の塩少々が決まった値であるように、体がその値を覚えるのだろう。
だからこそ数字は体験したものにこそ理解できるのだろう。
しかし悲しいことにその理論で行くと、私は100も分からない。




