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相手のことを認められる人間

相手のことを認めるのに必要なものはなんだろうか?

それは適度な無関心だと私は思う。


相手を批判したくなる理由は色々あるが、その多くは僻みからくるものだと私は思う。

であれば相手の実績に対して、その実績を評価するだけであれば真の評価ができるような気がする。


誰かが作ったものと思いながら評価を下すと、どうしても僻みが生まれてしまう。

誰だって自分よりも優秀な人をうらやむし、僻んでしまう。

別にそのもの自体が優秀じゃないと認められないわけではないのだ、それが優秀であればあるほど自分と比べてしまい素直に認めることができないのだ。


そのもの自体が評価できないのではない。

それを生み出した人を評価したくないのだ。


誰かが自分より価値のある人間であるならば、少なくともその誰かより自分は劣った人間と認めることになってしまう。

そんなことはだれしも認めたくはないだろう。

決してそんなことはないのだがそんな気がしてならない。


よく上から目線な人がいるがあれは「自分より下だけどまぁ評価してあげるよ!」という建前を用いることで他人を認めているのかもしれない。

だがこの方法は相手を不快な気持ちにする場合が多いだろう。


正直私は人間のこの複雑な感情を持て余している。

だからほんの少しだけ自分の気持ちに鈍感になってみることにした。

相手のことを認めたい「すごい!」という気持ち、誰かに認められた「うれしい!」という気持ち、ただそれらだけに気が付いてあげる、それは随分幸せそうに感じる。


悪い部分に鈍感になる。

その究極形態として適度な無関心があると思う。

気にしないようにして単純な人間へ成り上がるのだ!

私はこの奥義を会得するためにもう少し単純な人間になるように努力したいと思う。


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