飽きない作品作り
友人に最近これを読むのに飽きてきたといわれた。
確かにその友人が好きなものは物語であるし、そんなにこういった考察も好きではなかったと思う。
ではこれを50話近くも読んでくれたのか、それはひとえに私が書く作品であったからなのだろう。
私だってきっとそうするだろう。
友人が何かをする時、それを応援したいと思うし、友人が作ったものに興味もある。
友の作品作りに協力するともれなく思い出話もついてくる。
しかし次第にそれも面倒に思っていく。
それは当然だ。
友人の作品に何か変化がなければ、もともと興味のなかったそのジャンルを読み続けるのは手間だろう。
ここで私が頼み込めばきっと友人は読み続けてくれるだろう。
しかしそれはしてはいけないのである。
なぜなら、友人が本質的にこのジャンルを嫌う原因になってしまうからだ。
それはよろしくないのだ。
別に私の作品を嫌いになるのは全く持って構わない。
しかし、友人がこのジャンル自体を嫌いになると、友人はこのジャンルでよい他の作品を読む機会がなくなってしまうのだ。
だが決してこれは友人と私の問題だけではないのだ。
私が書いているという理由で読んでくれている友人ですら飽きてきたといっているのだ、ほかの人が飽きていないという道理はない。
それは私が困る。
であれば何かしらこの作品に新しい風を吹かせなければいけないと私は考える。
作風を変えることはできないが、触れる話題などは変えることができるだろう。
他にも数日に一回少しだけ違う作風を混ぜるのかもいいのかもしれない。
これはきれいな言葉で言えば創意工夫。
率直に言えば迷走しているといえるだろう。
しかし、私はこれに定期的に読んでいる存在を感じることができない。
つまり読者に求められている安定はないのだ。
だからまだ好きなように迷走できるだろう。
そういいつつも、今日も今日とて今までと似通った文章を書きあげるのだ。




