カリスマ性を使用する
物語においてもゲームにおいても現世においてもカリスマ性のある人には人が集まってくる。
例えば権力がある人には人が集まるし、賢い人のもとにも人は集まる。
お金がある人のもとにも人は集まるし、美しい人のもとにも人は集まる。
当たり前のように聞こえるかもしれないがこれが重要である。
人を引き付ける何かが必要なのだ。
例えば、自分から見てこの人は世界一かわいい、もしくはカッコイイ人がいたとしよう。
当然相手は魅力的な人間なので多くの人に求められていることだろう。
しかし、魅力的に見えているのが本当に自分だけであったのであればほかの人はその魅力的な人へ寄ってくることはないだろう。
前者はカリスマ性があり、後者はカリスマ性がなかったということだ。
では一体どういった人にカリスマ性があるのだろうか?
それは自分から声をあげられる、もしくは自分から行動できる人である。
カリスマとは多くの人から評価を受ける人という意味合いが近い。
であるならばそもそも人の目につく人である必要があるということだ。
漫画などで悪のカリスマという言葉があるがあながち間違いじゃない。
現代社会をモチーフにする作品において犯罪者はとても目立つ存在だ。
その犯罪者が何かの目的のために犯罪を犯していたとテレビで報道されれば、多くの人の心を良し悪しは問わないが動かすことだろう。
正義のヒーローだってそうだ。
名乗らず、見つからず、噂話にもならないのであればそれはただの人と変わりない。
皆に正義のヒーローと認識され応援されるからこそのカリスマ性だ。
カリスマ性を持っていようが世間から認識されないなんてことはよくあることだ。
お金を持っていても何も買わない人がいるように、カリスマ性を備えていてとしても世間から認識されない人もいる。
そしてカリスマ性を全く持たないという人間もいない。
持てるカリスマ性を使っているかどうかなのだ。
そして私は持てる自分のカリスマ性を使えていないと断言をする。




