批判的な意見と肯定的な意見
最近話題の少々口の悪い曲がある。
別に今回に限ったことではないが、何注目を浴びるものが出た時は批判も多く飛び交うものだ。
この曲は随分現代社会の不文律に対して噛みついた歌詞だと思う。
だがこの歌詞で言っていることは別にただ噛みつきたいがために噛みついているのではなく、現代社会の不文律で傷ついている人がいると示していると私は考える。
すこし前に若き環境活動家が話題になったことを思い出す。
別に彼女もおかしなことは言ってはいないのだ。
しかし、誰かの強い意志が何かをなそうとするとき、それを否定したいものの意思も強く表れる。
所詮はただ考え方の違う人間同士の対立でしかないのだ。
ではなぜこの歌詞が問題になるのか?
この曲は子供の教育に悪い!そういう人がいる。
確かに口は悪いのでお世辞にも教育に良いとは言えない。
しかしこの歌でなくとも口が悪い人間は世界中にいるし、なんならテレビに出ている人たちも全員が全員良い言葉遣いであるわけではない。
所詮は使う人の意識だ。
何をしゃべるにおいても口の悪い人がいれば、どんなに怒っていても丁寧な言葉遣いの人がいる。
だから、なぜ悪口を言ってはいけないかを子供に理解させる必要がある。
理解できていない人が多いからこそ大人になっても口が悪い人がいるのだ。
これでとりあえず子供の教育に悪いという人への反論を終わる。
だが子供のいる人だけがこの曲に文句を言っているわけではない。
社会の不文律に守られている人も文句を言うのだ。
なぜならこの曲は社会の不文律を壊そうという意思が込められており、現在社会の不文律の恩恵を受けている人からしてみれば迷惑極まりない。
だが社会の不文律が消えるのが嫌だから反対しているなんて、そんな我がままみたいな意見ではこの曲のほうが正しいと認めているようなものだと考えているのかもしれない。
だから上辺だけの綺麗ごとで対抗するのだ。
人間、汚いものよりはきれいなもののほうが正しく見える。
だからほんの少し論点がずれていたとしても気が付けないのである。
私は正直この曲を否定したくないと考えている。
だからこの曲の存在は正しいと考え、正しさを証明しようとするのだろう。
この曲を否定する理由を探さずに。




