新しい自分
私は何か新しい頃を始めるときにまずは新しい自分を生み出す。
新しい自分を生み出すために必要なものは3つある。
一つ目は新しい名前。
何をやるにしてもそこに人間がいると感じさせるのは名前である。
だからまずは新しい自分に新しい名前を付けるのだ。
二つ目は新しい人格。
名前を持った何かが人間らしくなるためにはそれに人格を与えればいい。
別に一から作る必要はない。
普段自分のことを僕と呼ぶのであれば、新しい自分は少しだけ丁寧な口調にして、自分のことを私と呼ぶだけでも新しい人格と呼べるだろう。
そうすることで普段の自分とは少し違った自分が生まれることだろう。
三つ目はそれが自分であって別人であるという意識。
自分から新しい人格を生み出すとき、まずはそれが自分であると認識できることが重要だ。
それが自分でないと認識できなといつか精神に異常をきたすだろう。
そして次の段階でようやく自分とは別人として考え始めるのだ。
なぜこんな奇妙なことを私がするのか気になる人もいるだろう。
なぜ私がこんな奇妙なことをするのかというと、理想の自分を作るためである。
例えば小説家になりたいとき、あまりにも稚拙で論理的ではなく、さらには文章を書くことが好きじゃないのが自分であった時、それは小説家を目指そうと思えるだろうか?
だから私は小説家を志すときに新しい人格を作る。
稚拙で論理的ではないが、それでもなるべく論理的に考えるように心がけ、文章を書くことは苦手だが、文章を書くことは好きな自分。という人格を作る。
両方とも技術的な面は変わらないが、少しだけ心構えが違う。
前者の自分には小説家になれない、しかし後者の自分であるならばもしかしたら小説家になれるかもしれない。
そう思うために新しい人格を作るのだ。
では、新しい人格を作った際の最大の利点は何であろうか。
それは失敗してもいいということである。
新しい人格は自分であり自分でない。
つまりはそれがたとえ失敗したとしても自分が失敗したわけではなく、その人格が失敗したということとできる。
勿論、社会に迷惑をかけてしまったのであればその責任を負わなければならないが、ただうまくいかなかった場合それは自分の失敗ではないと割り切ることができる。
何かを始める前に保険をかけるこの行為は正直ネガティブに考えすぎているといえるかもしれないが、自分の心が折れないことのほうが重要である。
だから私は自分が傷つかないように新しい自分を生み出しそれを盾にするのだ。




