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私は運動系の人間と文科系の人間の溝について考えてみた。

学生の頃も社会人になってもこの二つの関係には溝があるように私は思う。

なんで溝があるのだろう?

そう考え始めた得私はお互いのことをまだ知っていないからだと思った。

お互いのことをもっとよく知ればお互いのいいところを理解し、その溝は埋まると思っていた。

だが相手のことを考えれば考えるほど、調べれは調べるほど、理解しようと思えば思うほど、この溝は簡単には埋まらないことを理解した。

この溝が埋まらない理由は大きく分けて三つある。

一つ目は相手のことを知らないから。

相手のことを知らないから恐怖するのだ。

相手のことが分からないから、理解できないから溝ができるのだ。

一番簡単に見つかるこの問題を解決しようという人は多い。

だから私も最初はこれが理由だろ思って考え始めた。

二つ目は相手に対する僻みだ。

相手は運動ができる。相手は芸術を生み出せる。

でも僕には私には無理だと感じる。

だからこそ相手がうらやましく、自分ができないことが悔しく、つい僻んでしまうのだ。

だから溝ができる。

三つ目は思い込みだ。

自分は相手のことを僻んでいる、だから相手もきっと自分たちのことをよく思っていないだろうと。


別にこれはこの関係に限ったことではない。

自分は相手を否定的に思っているからあいても否定的に思うだろうという考えで、両者の関係に溝があるものはこの世界にあふれている。

何かを2分すると必ず現れるのがこの問題なのでる。

この問題を解決するためには相手をどれだけ否定しないかが重要になってくるし、どれだけ相手からの悪意に鈍感になれるかが重要だ。

悪意の循環が止まりことを願うばかりである。


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