自分の意見は論理的であるか?
筆者は相手と論理的な部分でもめているのか、感情的な部分でもめているのかを気にしています。
稀に自分の意見を論理的で正しい意見だと思って話す人がいる。
別に本当に論理的な意見であれば問題はない。
だが問題になるのはただの主観的な意見を、さも論理的であるように語る人間である。
別に主観的な意見を語るのは問題ないし、主観的な意見を他人に押し付ける行為もおかしくはない。
ただ、それをまるで世界の法則であるかのように、論理的であるかのように語る人がいる。
それは違うのだ。
論理的な意見とは本来、世界中の誰もが聞いて納得できるようにできているものなのである。
逆に主観的な意見は自分が納得できるだけの代物である。
主観的な意見は相手の心に何かを訴えかけることができるときがあるが、すべての人を納得させることはできない。
ではなぜ主観的な意見を、さも論理的であるように語る人間が問題となるのか、私は二つの理由から問題があると思う。
一つ目は相手を非常に不快な思いにすることである。
相手の感情を無理やり押し付けられる、そこまでならば気にならない人が多いかもしれない。しかし、主観的な意見を、さも論理的であるように語る人間は主観的な意見を、さも論理的であるように語っている為ほかの人が聞くと違和感を覚えることだろう。
その違和感は論理的であるという前提条件で考えれば考えるほど増していき、その違和感を不快に思う人がいるであろうと考える。
二つ目は相手の指摘を受け入れることができないことである。
相手がそれは論理的発言ではないと指摘しても、主観的な意見を、さも論理的であるように語る人間はそれを論理的な発言であると思っている為おかしいことは言っていないと反論をしてくる。
それではただの話を聞かない人間となるだろう。
そもそも感情的な意見が論理的であることはありえない。
だからまずは、それは論理的なのか感情的なのか、自分の心とよく話し合ってから人に話すべきなのだ。
私のこの文章はなるべき論理的に話そうとしている主観的な意見である。
私は主観的な意見と論理的な意見をはき違えない人間として生きていきたい。




