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常識を理解する者

筆者はここ最近否定ばかりされているように感じるのであまり自分に自信が持てません。

常識とは何か、それは先に生きていた人が残した不文律。

これが常識だからっていう者は自分のルールに合わせてほしいといっているのである。

そもそも人間は自分が中心である。

自分のルールに合わせてほしいのは当然である。

しかし面白いことに常識とは自分のものではないのである。

育った環境や、周りの人の性格、さまざまなものに影響されて出来上がる。

多くの場合それは親が植え付ける。

自分ではこれが常識であると思っているが、それは本当に納得しているのだろうか?

常識というものは社会に溶け込むという目で見れば、とても効率のいいものであるだろう。

だが常識とは所詮他人の意見なのである。

誰かがこれを常識と決めたからそれは常識になる。

そういったようなものなのだ。


常識内に生きる人間は人に守られる。

自分たちのルールを守るものをみすみす見捨てることはあまりない。

だが、現代において他と変わらない人間にあまり価値はないのだ。

あまり価値がないといってしまうと少し語弊がある。

他と比べられより優秀なほうのみに価値があるようになるのである。

より厳しい生存競争へといざなわれるのだ。


逆に常識に捕らわれない者はどうだろうか?

他の人にはできないことをやってのけ、その道の第一人者となる。

輝かしい道を目指す探究者だ。

だからといってこっちのほうが楽なわけではない。

人は自分が理解できるものしか愛することができない。

新しいことを理解されるのには非常に時間がかかる。

そして人間というものは理解できないものを排斥しようとする節がある。

つまりは新しいものへと挑戦する人は理解できないことをしようとしているように目に映る。


どちらにせよ常識というものを正しく理解したものは両方の利点を吟味したうえで利用する。

仲間になるために常識を持つことを示し、人より上に行くために常識の外へと一歩踏み出すのだ。

常識こそ正義と思う人ほど常識外のことへ挑戦すべきであるし、常識なんて知ったことじゃない人は常識を学ぶ必要があるのだ。

常識を知り、常識を破れるものこそ真に常識を理解したものである。


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