誰かと同じ人生を目指すが結局はオリジナルな人生を歩むと知る
すべての人間は自分の憧れを持ちその憧れを目標に生きる。
あこがれを持たない人間などこの世界のどこにもおらず、憧れがいないなんてほざく阿保は一度ちゃんと自分を見つめ直したほうがいい。
生まれた瞬間からあこがれを持てと言われると少し難しいものがあるだろうが、自分という存在を認識した人間ならばほぼ間違いなく憧れを持っている。
自分では認めたくなくともそれは絶対であり、自分が何か目指す先があるのであれば絶対にあこがれの人がいる。
その人が現実に存在するかどうかは置いておいて、憧れの人という存在は間違いなくあなたの心の中にある。
憧れの人の真似をすれば憧れの人と同じことが出来るかと聞かれると、それは多くの場合できないのではないかと答えざるを得ない。
なぜならその憧れの人と自分は別の存在であり、どんなに似せようともどんなに真似ようとも憧れの人とまったく同じにはなれない。
故に人は自分の憧れの人を目標にしつつ、自分を確立し憧れを目指しつつ求められる人間になろうと努力する。
自分という存在を憧れの人と同じように求めて欲しいが人生そんな簡単なことはなく、多くの場合憧れが求めれられるようなこととは似ても似つかないものを自分に求められる。
自分は憧れの人と同じものを求められたいのに自分にそれを求めてくれる人は少ない。
自分は憧れを目指しているのだが人に求められるという行為はとても甘美だ。
その甘美さは人々を堕落の道に引きずり込み、憧れの道から自分を引きはがしてしまう。
これもまた間違いではないのがまた腹立たしい。
この堕落の道は自分を憧れに到達させないだけで自分を幸せにさせない堕落の道ではない。
むしろ多くの人に求められて幸せになれることすらある。
ではなぜ堕落と称したのか、それは憧れへと到達させない悪魔であるからだ。
あなたはその憧れを目指し今まで努力してきたのに悪魔に唆されて憧れに至る道を閉ざしてしまうのだ。
あなたの憧れはもうすでにあなたの道の先にはいなくて、もしかしたらあなたは自分の憧れに至れるかも知れなかったのに、悪魔に唆されてあなたは甘美なる自分の道を歩まざるを得ない。
いつの間にかあなたには指標がなくなり果てしなき荒野を歩むような人生を歩まなくてはならない。
あなたは悪魔に唆されてその荒野を苦しみながら歩んでいる。
ああ、なんてかわいそうなんだ。
悪魔に唆されさえしなければ前例のある輝かしい未来を歩めたというのに……
荒野を探索するように人生を歩むあなたは苦しみながらも誰かに求められる人生を歩み、いつしか誰かに憧れられる立場となる。
だがあなたと同じ道を歩める人は皆無に等しいだろう。
あなたが憧れにたどり着けなかったように。
結局あなたの人生はあなたのものでしかなかったってことだ。
著:人生の観察者




